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2008年12月17日 (水)

うつ病に効果があるマラソン

東京マラソンを完走したい 【 3 】

 マラソンに備えながら「東京マラソンを完走したい」という小説を書いた。
 ある版元の新人賞に応募したが、一次選考にもひっかからなかった。

 その2ヶ月後、荒川市民マラソンを完走した。
 復路では大会史上最悪といえる、猛烈な逆風が吹いたが、制限時間の7時間ぎりぎりで完走した。
 完走と言っても走ったのは27kmまで。
 それでも完走は完走。
 心に広がる充実感はその後、1年間続いた。

 「えっ、マラソンって あの40キロのやつ?」
 「自分はぜったいムリ!」

 マラソンを完走したと誰かに話せば、おおかたの人から尊敬の言葉を送られる。
 日本国民の大半がマラソンに親しみと畏敬の念を抱いている。
 ルート2がいくつかは忘れても、円周率の 3.14 とマラソンの 42.195kmは知っている。
 読売新聞社の調査では、毎年好きな見るスポーツのベスト5にはいっている。
 トライアスロンのレースに出たと言っても、頭に「?」マークが浮かぶ人が多いが、マラソンに出たといえば「えっ、あの42kmの?」という承認を伴うまなざしが返ってくる。

 そして、他人からそうであるように、自分でも自分を尊敬できるようになる。
 その苦しさを知っているのは自分であり、成し遂げたことの価値を一番わかっているのも自分だからだ。

 自分に自信が持てない。
 誰かに認めて欲しい。
 共依存に悩んでいる。
 うつ病が長い。

 そういう人たちにマラソンは有効だ。

 モノを買うと幸せを感じる。
 だが、手にした途端に急速に冷めていく。

 お菓子やアイスを食べれば幸せを感じる。
 だが、食べているそばから、もうそれは薄れている。

 それらの幸せは、いずれも一過性のもの。

 他人からの承認は心の支えになる。
 だが、いつか慣れてしまい、ありがたみを忘れてしまう。
 そして、いつ相手から途絶えるかわからない。

 マラソン完走の幸せは長続きする。
 それは自分で自分を承認したからだ。



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