六本松のBLUENOTE
結局、RZ350に毎日乗ったのは27ヶ月。
雨の日も晴れた日も、毎日乗っていたから、その3年は現在の10年にも感じる。
クルマを買ってからは、めっきり乗る機会が減り、クルマ購入後4年でRZは売った。
走行距離は 17,500kmだった。
RZ350に乗っている間つけていたメンテナンスノートが今も残っている。
最も走った月は1,563km。この時は九州一周をした。
最も走らなかった月でも243km。この時は交通事故で2週間入院していた。
授業が始まると距離が落ち、春休みと夏休みには距離が伸びた。
ガソリン代は最低3,430円/月 最高が16,280円/月
当時のガソリン単価は1リッター当たり140~150円
燃費は市街地で 7~8km/l ツーリングで最も伸びた時で17km/l だった。
オイルを循環させる4サイクルと違って、2サイクルはオイルを燃やして走る。
オイルの補給には、ガソリン代の6分の1程度の費用がかかった。
オイルとガソリンの混合比は調整次第。バイクにより異なる。
同じRZ350に乗っていた親友から「オイル?買ってから一度も入れてないよ」と聞いた時は、すぐバイク屋に行くことを勧めた。
通常は割安なYAMAHAオートルーブ。懐が温かい時はバルボリンを入れた。
六本松にあった BLUENOTE で大半のライダーが入れてたバルボリンだが、僕にはオートルーブとの違いはよくわからなかった。
家からすぐそばということもあり、BLUENOTEに入り浸った。
日曜日に美祢に走りに行く日を除いては、いつも誰かが事務所でだべっている。
作り置きしてある煮詰まったコーヒーをいただき、あまりよくわからない技術的な話や、峠の自慢話に相づちを打った。
「RZ350は低温に弱い」
と皆が言っていたので、さも自分の意見のように受け売りしていた。
当時、水冷エンジンのバイクは珍しく、大半のバイクはエンジンにフィンが切ってある空冷エンジンを積んでいた。
YAMAHAはコストをカットするために、低温対策のサーモスタットをつけていなかった。
そこで「YAMAHAの技術者も視察に来た」と常連が言っていた BLUENOTE のサーモスタットをつけた。貧乏学生の僕に、5,000円という出費は辛うじて可処分所得の範囲だった。
「バイクはノーマルで乗るものだ」
というポリシーを公言していたが、実のところは数万円もする部品を買う金が無かった。
現時点で十分走っているバイクに、さらに投資することの意味が見いだせなかった。
そんな僕でもフロントフォークにスタビライザー(5,000円)をつけた時は、ちょっぴり改造ライダーの仲間入りをした気がして嬉しかった。
だが、やはりスタビライザーをつけてどう変わったのかはわからなかった。
まだ DUCATI という名前を誰も知らなかった頃だが、BLUENOTEの主力は DUCATI。皆は「ドカ」と呼んでいたが、僭越なので僕は「どかってぃ」とフルネームで呼んだ。
事務所のとなりにある 部品やアクセサリーが並ぶ部屋は、輸入バイクグッズに溢れていた。
いつも Nava のヘルメットを見ては、その値札にため息が出た。確か当時WGPチャンピオンのマルコ・ルッキネリが被っていたモデルだ。
結局この部屋から手にしたグッズは DUCATI のトレーナー1枚(3,500円)だった。それだけでもバイク通に見られるような気がして、冬になるとそればかり着ていた。
バイクを買ったのはYAMAHAオートセンターだったが、フロントフォークやヘルメットには BLUENOTE のステッカー。
紺色の地に白抜きで BLUENOTE と書いてあるだけのシンプルなもの。一見してバイク屋のそれとはわからない。
始めについていた販売店のステッカーはすぐ剥がした。
今も町を走っている多くの車には「いかにもディーラーです」というステッカーがバンパーに貼ってある。
あれを貼っておくと、なにかいいことでもあるのだろうか。
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