団塊の世代の敗戦処理を担う中学生たち
【 通勤の路上から 】
ある日、僕は、通勤の路上にいた。
徒歩で駅までたどり着き、電車に乗る。
再び、駅から会社まで歩く。
どこにいても、あたりには人がいて、時にはぶつかり、時にはにらみ合う。
九州の西のはずれから出てきた田舎者にとって、東京に住みたくない理由の第2位が、この「通勤ラッシュ」だった。
1位は「土地が高い」
名古屋にいる時は、いずれ、東京に引っ越すことがわかっていて、早く首都は東京以外に移転して欲しいと思っていた。
だが、そこに身をおけば、そんなことは、それ以外の要因の前にかすんでしまう。
「雇用」 「生活基盤の充実」
そのような優先順位が高いことがらと比べれば、電車の混雑など、余裕で許容範囲だ。
そのことを、正直に、首都移転の委員会で言ったところ、移転推進派の衆議院議員から
「みんなそうだ。東京アズナンバーワンか?」
と突っ込まれてしまった。
別に、どこどこがナンバー1 という概念はない。
ただ、経済が右肩下がりの時、都市への集中が加速するという事実があるだけだ。
家から一歩、外へ出ると、そこは道路。
まず、出くわすのは、小学生、中学生の通学者だ。
クルマの視点からいうと「一方通行」の、その道路には、左右の両側に、一段高い歩道が整備されている。
「クルマは左、人は右」
子供の頃、交通標語で、そう覚えた。
僕は迷わず、進行方向に向かって「右」の歩道を選択して、歩き始める。
すると、前方から、やってくるのは一人の女子中学生だ。
昔ながらの、大人を怖がる子供であれば、前方に大人の男を視認した時点で、歩道を降りて、車道へ出る。
だが、10人中6人は、そのままこちらに向かってくる。
人一人がようやく、行き違える幅の歩道の、そのまた、右に寄る。
相手はそれを確認したのか、その逆側を歩いてくる。
無事、すれ違う。
「おいおい、歩道を歩くなら、道路の右側じゃないのか?」
口には出さず、女子につっこむ。
しかし、道路交通法には、歩行者は道路の右側の歩道を歩くこと。
違反者は3千円以下の罰金・・・
という条文はない。
つづいて、歩道いっぱいになって、歩いてくる男子中学生の三人連れが、向こうからやってくる。
「話しに夢中だぜ、オレたち。いけてる中学生。いぇい」
と顔に書いてある。
髪を立てて決めているつもりだろうが、ひと昔前ならば、それは寝ぐせだ。
話に夢中の振りをしている彼らは、前方からやってくるサラリーマンは、眼中にないぜという雰囲気を醸し出している。
鬱陶しいので、こちらが、車道に降りて、道を譲る。
こうした、小さな勝ち負けにこだわって、彼らはまちがった道を歩んでいくのだろう。
団塊の世代が美味しいところを、吸い尽くして勝ち逃げした日本社会で、その敗戦処理を一手に背負おうかという厳しい境遇に、彼らはいつ気づくだろうか。
つづいて、遠くからやってくる、OLの姿が見えた。
3/24につづく
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