河村たかし 4年遅れの出撃だがね!
2004年
7月、初めての著書「国破れて議員あり」徳間書店 発表。
対立の構図は「自民党」対「民主党」ではなく「税金を払っている人」対「税金で食っている人」とする。
地方議会には、ほとんど議会にも出ず、巨額の給料を受け取る「職業化」した議員がはびこる。
地方議会議員は、ボランティアでやるべき。タダでも、なり手はいくらでもいる。
自分が市長になって、市議会議員を半分にする。
この本を読んで、彼に魅了された。
彼にはビジョンがあり、私心がない。
その反対の政治家が多いなか、なんとすがすがしい人物であろうか。
ただ、彼が提唱する地方議員改革は、メディアが報道しないため、聖域になっている。
実際に、彼の改革ビジョンが、政治家に受け入れられないことが、半年後に明らかになる。
2004年10月27日、2005年春の名古屋市長選挙への立候補を表明。
2005年1月4日、民主党の推薦がとれず名古屋市長選出馬取りやめ。
2005年4月、民主党は名古屋市長選で、河村たかしからの推薦依頼を断り、自民党と相乗りで現職市長を推薦。
この時点で民主党は「改革」する気がないことが確認された。
政治に絡んでいる人の常識とは、こうである。
「地方議員を半分にするなんて、身内を切るような乱暴なやつに、政治は任せるわけにはいかん」
だが、一般人の常識とはこうだ。
「365日、毎日働きづめというなら、まだしも、半分以上を休んでいるならば、議員は半分でもいいのではないか」
愛知県にいた時、ある市会議員と知り合った。
彼は先祖代々の事業を営む企業の社長で、昼はゴルフ。夜は副業を営んでいた。そして、市会議員もやっているという。
そして、市会議員だけで、民間のサラリーマンを遙かにしのぐ給料を得ていた。
東京のメディアは、河村たかしを民主党が推薦しなかった一件を取り上げることはなく、国民は誰も知らないまま、河村たかしのビジョンは頓挫した。
この時、民主党が旧態依然とした体質から脱していれば、ここから河村の改革がスタートしていたのだ。
この4年は、あまりに大きい。
河村は4つ歳を取り、地方改革は4年遅れた。
2005年9月11日、郵政民営化を争点に、保守が大勝した総選挙で、河村は 5回目の当選。
初めて10万票を獲得した。
党首選立候補を試みたが、20人の推薦が集まらず出馬もできなかった。
2005年9月「報道ステーション」での1シーン
民主党首選の候補である前原、菅が生出演している。
そこに、テレビ電話で出演した河村たかしが登場。
河村が話し始めると、二人は笑い出した。
キャスターの古舘が怪訝そうに「どうして笑うんですか?」と突っ込みをいれると、前原は 「いや、名古屋弁が出てるから」 とお茶を濁した。
前原の表情はそれまでの緊張が完全に緩み 「河村さん、お呼びでないですよ」 と言わんばかり。
鳩山、小沢に推されて、旧自民党的流れで党首になった前原に改革ができたのか。
結論は、もう皆さんご存じの通りである。
2006年
9月、2冊めの著書 「おい河村!おみゃぁ、いつになったら総理になるんだ」KKロングセラーズ 発表
2008年
9月「この国は議員にいくら使うのか」角川書店 発表
2009年4月26日の名古屋市長選の話に戻る。
2005年の市長選で、河村たかしの立候補を民主党が認めなかったように、この選挙は81年に渡り、国政の与野党第1党が相乗りする、無風選挙だった。
かつて、改革する気はなかった民主党が、今度は河村たかしを推薦した。
これで、名古屋発の政治が、一気におもしろくなった。
河村は今度ばかりは「市議会議員半減」とは言わず「市民税 10%減税」と、河村にしてはソフトな公約で、政治家のご機嫌をうかがった。
公約を守る男なんて、彼には期待していない。
彼は、公約もしていないのに、とことんやる男だと期待している。
今回、名古屋市長選の投票率は 50.5%。
前回が 27.5%だから、23ポイントも上がっている。
これほど、ポイントが上がるのは、例がないのではないか。
同時期に行われ、森田健作が当選した千葉県知事選挙の投票率は 45.5%、その前回は43.3%である。
河村たかしが喚起する「政治への関心」
それこそが、一人一人の幸せにつながるのである。
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