彼女がラーメンをすする時
中華料理屋で女の子と相席になったのつづき
もちろん、鼻をかんだ彼女を直視したりしない。
まったく聞こえていないよと、微動だにしない。
なるほど。私はラーメン屋に女を持ち込んでないのよ。
という気概の表れに違いない。
わたしゃ、気ぃつかってないから、お互い、面倒なことは無しだからね。
鼻水が、そう言っているように聞こえた。
ことん
水が置かれた。
大将が、どうぞと言って僕の目を見る。
ありがとうございます。
と言っておきながら、水があることを次に思い出したのは、8時間後だった。
さほど待つこともなく。
中華スープの先導を得て、炒飯が目の前に置かれた。
ショウケースの見本そのままの姿。
まずは、中華スープに沈んでいたレンゲを手に取る。
ここは食堂なので、スープは手前に向かってすくうが、最低の身だしなみとして、音は立てない。
思ったよりもスープの味が濃い。
炒飯に中華スープ。
お約束だが、別にそんな約束、守ってもらわなくていい。
炒飯についている中華スープが絶品。
そんな話は聞いたことがないし、実際にあったとしたら、面倒な話だ。
ウェディングケーキに入刀するように、できるだけ山を崩さぬよう、炒飯にレンゲをさしこむ。
表面はあまり焦げていない。山はあっさり、柔らかく崩れた。
かすかな落胆が心に広がる。
だが、ご飯は十分に火が通っていて熱い。
今日は写真を撮ろうとは、はなから思っていなくて、カメラも持っていない。
それがよかった。
炒飯の写真を押さえるという使命が課せられていたら、今頃、冷や汗が出てしかなかっただろう。
かすかに見える豚肉
赤いのは蒲鉾のみじん切り。
エビじゃなくて、よかった。
こうしている間にも、次々と客が回転する。
もちろん、マットが引いてあって、前回りをしているのではない。
背後から、客の男が注文を叫ぶ。
担々麺
・・・
たんたんめん!
え゛っ?
た ん た ん め んっ!
なんだ、おじいちゃん、耳が遠いだけか。
美容師は、雑誌に目を落とす時間、ラーメンをすする時間の7:3の比率を守っている。
僕は少しだけ落ち着きを取り戻して、時々、レンゲを休めて文庫本を先に進める。
山がかなり崩れて、4分の1を残すだけになった時、炒飯の下から、店名と電話番号が現れた。
市内局番が3桁。まだ4桁化する前から使っている、息の長い皿なのだ。
もしそこにマジックで 3 と書き足してあったら怖い。
ずっ ずっ
ラーメンをすする音がさっきより小さくなっている。
もしかして、僕の上品な食べ方に気後れしたか。
それは悪いことをした。
最後のひと山は、皿を持ち上げる。
レンゲで最後の一粒までをすくい、口に運ぶ。
いつものことではあるが、久しぶりの炒飯。
今日は特に、行儀よく締めたかった。
ずっ ずっ ずっ
彼女が奏でる子気味のいい音を聞きながら、店を出た。
桜散る商店街に、春の風が吹いていた。
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