名古屋から、河村たかしの革命が始まるんだわ
しらべるが選ぶ2009年の重大ニュース第1位は、恐らくこれに決まりである。
名古屋市長選で、前衆議院議員の河村たかしが初当選
新聞の片隅にぽつんと出ていた見出しで、このニュースを読んだ人がいるかも知れない。
端的な事実でいうと、民主党が「推薦」する河村たかしが、自民・公明が「支持」する候補を破ったということ。
そうか。民主党の勢い、衰えていないな・・・
いや、違う。そうではない。
名古屋市長選、そして、河村たかしを巡る過去は、相当に複雑なのである。
この選挙結果の衝撃は、一地方都市の行政にとどまらない。
自称「総理をめざす男」 河村たかしが、いよいよ、日本改革に向けて動き出した。
河村たかしは政治家である。
越前リョーマのチームメイトではない。
越前リョーマの友達はテニスプレーヤーだが、こちらの河村たかしは、名古屋市の旭丘高校で、バドミントン部のキャプテンだった。
政治家としての支持について、初めに立場を明らかにすると、政党、個人ともに支持していない。
それでは、なにかというと、河村たかしの活躍に期待する一ファンである。
初めて、河村たかしを知ったのは、衆議院の委員会が散会した後のこと。
彼が僕の席にきて、話しかけた。
「君はどこに住んどるんだ?」
僕が明らかに年下とは言え、初対面の相手に向かって、ずいぶんな口のきき方だ。
「名東区です」
そう答えたあとは、彼が、一方的にその委員会における、彼の立場を話し、早々に立ち去っていった。
横柄なおやじだ・・
その時は、ただそれだけの印象に過ぎなかった。
■河村たかしの略歴
1948年
11月3日生まれ、愛知県名古屋市出身。
旭丘高から一橋大に進む。
1989年
衆議院総選挙、愛知一区に無所属~自民党推薦~で初立候補し落選。
1993年
衆議院総選挙、愛知1区に日本新党から立候補、初当選。
以後、新進党-自由党-民主党と党籍が変わる。
1999年
住民基本台帳番号の議論では、国民背番号は「国民が国の囚人となる」として反対。
2002年
6月、国会等の移転に関する特別委員会 委員長に就任。
委員長特権を返上し、税金の無駄遣いをやめたため、民主党の国対から委員長を外される。
税金の無駄遣いをやめると、民主党は責任を問い、クビにしたのである。
2002年6月、河村は、名古屋刑務所事件についての資料を作成する。
名古屋刑務所刑務官が、放水で受刑者を死亡させたと言われた事件について、民主党は公開放水実験を行っていた。
だが、それは水圧を 10倍にした「捏造実験」だった。
「民主党の実験は、冒頭陳述の水圧0.6kg/cm2の10倍の水圧6kg/cm2で行われたものであり、国民に誤解を与えた点を素直に認め、お詫びするとともに事実を訂正すべきである」
民主党によるでっちあげを、民主党籍の河村たかしが、追及した。
だが、菅直人はこの件について謝罪しなかった。
この公開実験でテレビに出た民主党議員が、後に偽メール事件を起こすことになる。
ここで襟を正さなかったことと、後の「偽メールでっちあげ事件」による民主党の信頼失墜は、無関係ではない。
河村たかしは、2003年まで「国会等の移転に関する特別委員会」の常連メンバーとして、愛知・岐阜地域への首都移転推進に取り組んでいた。
ただ、彼の選挙区である愛知1区=名古屋市は、候補地「愛知岐阜地域」に含まれていない。
それもあって、彼はこの案件には、それほどの肩入れはしていない。
2002年7月に首都移転がうやむやになった後は、議員年金廃止を訴え、年金問題へとシフトしていく。
つづく
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