マラソンの応援で力をもらうということ
東京マラソンを走りながら書いた 【 14 】
歌舞伎座を過ぎ、築地四丁目の交差点に向かう道。
銀座に繰り出した買い物客は、静かに僕らマラソン・ランナーを見守っている。
そこに人はたくさんいるのに、静かだ。
皆さん、それじゃ、つまんないでしょ?
どうです?ハイタッチでもしましょうよ。
今日、家に帰ってから、お茶の間で「走ってる人とハイタッチしてきたよ」って言えるし、参加した気がするでしょ。
なんたって今日は「東京が一つになる日」ですから。
沿道いっぱいに左に寄り、こちらから大きく手を振りかぶる。
すると、そのうちの一人がハイタッチに応える。
すると、その連れのおばちゃんの手が出る。
その2m先のおばちゃん、その旦那のおじちゃんも。
エイドでハイタッチ・ラインをつくってくれたボランティアのおかげで、レース後に試算したハイタッチ人数は 700人。
ハイタッチをしようと待ちかまえてくれた人が 600人。
その気はなかったのに、こちらが迫ったのが 100人。
たくさんの力をもらった・・
そう、書くと思っているかも知れないが、本当のところはよくわからない。
応援を受けると嬉しい。
ハイタッチをすると楽しい。
だけど、それによって、元気もりもり、脚力がんがん・・
ということはない。
応援がなければ、あそこでつぶれていた。
なんてこともない。
そもそもそんな柔では、6時間も歩かずに、走れない。
一つ言えることは、応援もハイタッチもない道を、6時間も走ることは難しいということだ。
そんな道には、給水所がないし、5cmのバナナすら出ない。
信号で止められたり、自転車にぶつかったりもする。路上の段差に常に神経をとがらせなければならない。
ランナーのためにしつらえたコースがあり、信号はすべて青。
2.5km毎に水を配ってくれる人、バナナを配る人がいる。
沿道で、声援を送ってくれる見知らぬ大勢の人がいる。
そんな特別待遇が、参加費の高い大会でも1万円、安ければ5,000円で受けられるのである。
ゴルフが趣味でも、コースに応援のギャラリーはいない。
ナイスパットを決めても、4人が「ナイスイン」と言ってくれるだけ。
国体や日本選手権という場で、声援を受けるのは一部のアスリート。
素人が、見知らぬ大勢の人から応援を受ける、唯一のスポーツ。
それがマラソンなのである。
築地4丁目を左折すると35km
予定していたタイムからは、16分遅れ。
この時点で、昨年のかすみがうらマラソンより、タイムが悪くなることがわかった。
いよいよ、ここからが自分のマラソン
35kmまでは東京の名所と、大観衆がつくってくれる。
ここから先の 7.195kmは自分でつくる。
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