東京マラソンは走りづらい。
東京マラソンを走りながら書いた 【 12 】
ここで、東京マラソンで、一番嬉しかった出来事を書こう。
それは、後半のエイドにあった。
僕ら6時間前後のランナーが30kmを過ぎる頃、大半のエイドは、規模が縮小されている。
エイドに詰めている水色のジャンパーを着たボランティアのうち、半数は手が空いている。
そんなエイドにさしかかった時だ。
にこにことこちらを見ながら、ハイタッチを待つ、水色の隊列が見えた。
手が空いたメンバーが、ハイタッチしながら、応援の声をかけてくれる。
迷わず、近寄った。
まるでホームランを打ったバッターがベンチに凱旋したかのように、20人ほどの隊列に、タッチしていく。
一人一人の笑顔がなんと、愛くるしいことか。
一人一人に「ありがとう」「ありがとう」と声をかけていく。
なぜだかわからないが、どこでも、女の子の列が先に並び、その後に男の子の列が並んでいる。
水を渡しているスタッフも、コップを渡しながら、必死に声をかけてくれる。
「いけ」
「がんばれ」
それで、いいんだ。
こんな時、ていねいな言葉遣いは要らない。
気合いのこもった言葉が、心に響く。
ランナーに気合いを注入しながら、ペットボトルからコップに水を注いでいる兄ちゃんがいた。
「がんばれ、チェルシー・・おっ、デコ いけ~」
嬉しかった。
今回のレースでは、5人の方が「チェルシーがんばれ」と声をかけてくれた。
31km過ぎで飴を配っていた女性が「あ、チェルシー・・の人、がんばって」と言ってくれたのが、可笑しくて心に残った。
いくつかのエイドでは、ランナーが続々と来る合間を縫って、ほうきでコップを掃いている青年がいた。一刻も早く紙コップを片付けたいのだろう。
あれはできれば、すべてのランナーが通過してからの方がいい。
遅いランナーは特に疲れていて、目の前のボランティア一人よけるのも、大変なのだ。
31km
浜町中の橋の交差点を右折。
コースレイアウトが頭に入っていないので、なぜここを右折なのか。その先はどのように道が続くのかがわからない。
後で地図を見ると、茅場町から築地までの4kmは、長方形の3.5辺をなぞるように、四角く走っている。
初めての市街地コースを走る時、コース像がつかめないことは、精神的な負担が大きい。特に疲弊したレース終盤では、なおさら。
次に新たな市街地レースを走る時は、コース図を穴が空くまで見ておかねばなるまい。
東京マラソンは走りづらい。
銀座から雷門、再び銀座へと戻る、この区画を走っていて、それは確信に変わっていた。
もっと正確に言うならば、5時間半以上のタイムで、なおかつ、歩かずに走り続けるランナーにとって、東京マラソンは最高に走りづらい。
なぜならば、見たこともないような大量の人が一斉に、歩いているからだ。
かすみがうらマラソンでも、終盤はたくさんの人が歩いていたが、走るコースには困らなかった。
東京マラソンは、かなりコース幅が広いのだが、半端ではない人数が歩いて、コースを埋めている。まさに、縫うように走らざるを得なかった。
さらに、歩くマナーも悪い。
突然、立ち止まる。
コース上でストレッチをする。
歩いていたかと思うと、後ろも確認せずに走り出す。
コース脇に寄る時に、後ろも見ず、斜めに歩く。
初マラソン・ランナーが多い所以だろう。
ゴルフ場に行けば、やれ、ラインを踏むな。足をひきずって歩くな。
人がアドレスに入ったら、動くな。
打ったら、ボールまで クラブを3本持って走れ・・
と散々、先輩からマナー教育を受ける。
どんなスポーツでも、ルールとマナーは先輩や指導者から、後進の素人へと伝わっていく。
その点でいうと市民マラソンは、そもそもスポーツなのか、イベントなのかが曖昧だ。
「僕はオリンピックに出るわけじゃない。マラソンを楽しんでいるだけだ」
そういうランナーは多い。
ただ、せっかくスポーツの場に顔を出しているのだから、その競技に先達から受け継がれてきた、ルールやマナーにどっぷりと浸かってみるのはどうだろう。
東京マラソンというスポーツは、まだわずか3回。
ルールとマナーは、未だ、発展途上である。
次回は4月10日
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