マラソンは、腹で息をする
東京マラソンを走りながら書いた 【 9 】
25kmの通過は予定より、4分遅れ。
歩きたい
もう、すっかり、レースを投げ出していた。
目標タイムに、こだわる気持ちがもてない。
かと言って、収容バスや、制限時間という、せっぱ詰まった戦いもない。
「目標タイム」という、なんとでもなる基準が外れてしまうと、自分を支える柱がなくなった。
東京マラソンは応援が多いから、楽しいだろう。
都心の道路を走るのは、気持ちがいいだろう。
そんな、気持ちはとうの昔にない。
どんな、マラソンも辛いものなのだ。
いったい、なんのために練習をして、マラソンをやっているのか。
今日を終えて、再び、走り出せるというのか。
マラソンを続ける理由はあるのか。
しかし、最後の一線があった。
それは去年、かすみがうらマラソンで手に入れた勲章。
死にものぐるいで勝ち取った 「一度も歩かずに、完走」
それをここで、止めてしまったら、もう何もかもが終わりだ。
自分を認められなくなる。
初マラソンでさえ、27kmまでは走り続けたというのに、今日はまだ25kmじゃないか。
そんなことが許されるわけがない。
そこで、丹田呼吸を入れた。
▼3拍吸う
↓
▼6拍で吐く
↓
▼吐き終えた時、丹田(へそ下5cmあたり)に、30%ほど息が残っていると考える。
↓
▼繰り返す。
本来の丹田呼吸は、5秒吸って、10秒吐くという、もう少し長いパターン。
だが、走行中はそれでは苦しいので、3回吸って6回吐くパターンにする。
ずっと、丹田呼吸で走るわけではない。
上り坂を終えて、息が上がった時、苦しいなと感じた時に、丹田呼吸をする。
丹田に手を当てて「ここだよ」と自分に言い聞かせると、イメージがしやすい。
お腹を押さえていると、応援の人が心配そうに見つめるが、それは勘弁してもらう。
1月の大阪国際女子マラソンで優勝した渋井陽子が「腹で息をするのを、忘れなかったのがよかった」
と言っていた、あれである。
丹田に手を当てたことで、はっと気づいた。
極端にお腹が凹んでいる・・・
マラソン前、あらゆる嗜好品を断ち、減量に努めた。
それにしても、こんなには、腹はへこんでいなかった。
そこで、この無気力の正体に思い当たった。
その手前、22.3km、今日初めての給食エイドが見えてきた時だ。
すかさず駆け寄り、バナナを目指す。
すると、バットに入っていたバナナは長さ5cm程度のもの。
そうか、食べやすく小さくカットしてくれたんだな。
皮も剥いてあるし。
あれを、2~3切れ、手渡してくれるんだろう。
手を出すと、バナナを1切れ手渡された。
えっ?これだけ?
せめて2切れじゃないの?
大会前の報道によれば、ドールが、栄養価の高いラカタンバナナを6万本提供すると伝わっていた。
それを読んで、十分食べられるという安心感があった。
2007年の第一回大会ではバナナが足りなくなったことが、大きく取り上げられた。
まさか、そんなことが再現されるとは思えない。
残念ながら、それは再現された。
今大会では、バナナはゴールしたランナーに1本ずつ配られた。
だが、ゴールしてからは、一息ついてからゆっくりと自分で好きなものが食べられる。
事実、ビッグサイトのコンビニ「ファミリーマート」のおにぎり、サンドイッチの棚は、空っぽだった。
次回は4月6日
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