ペーロン除隊の理由
僕の岩場は、海の幸の宝庫でもあった。
僕にはムリだが、素潜りすれば、すぐそこにアワビが見えていた。
そして、膝上まで足をつける浅いところにはウニがいた。
ウニを獲って、その場で割る。
黄色いところだけを指でより分けて、口に運ぶ。
生まれて初めて食べるウニ。
塩水を吸ったウニは水っぽく、すするように飲めた。
夏には、学校から帰ると、ランドセルを置くやいなや、マイナスのドライバーを一本持って、岩場へ行く。
ウニは僕のおやつ代わりとなった。
後に瓶詰めのウニを食べた時は、固くてとても美味しいとは思えなかった。
今も回転寿司に行けばウニは外せないが、あの日、五島で食べたウニのようなみずみずしさは望むべくもない。
ペーロンは長崎県に伝わる伝統行事。
手こぎの舟に、太鼓を叩く係りが1人、あとはこぎ手が乗り、速さを競う。
新魚目町では、毎年お盆にペーロン大会があり、町内対抗戦をおこなう。
女子は乗っていなかったと思うが、男子は全員参加だ。
舟がこげる海だから、当然深い。
足が届くようなところはない。
こぎ手はライフベストなど着たりしないので、泳げない僕には生命の危険が伴う。
五島の子供達にしても、生まれながらに泳ぎが達者なわけではない。
「ペーロンで海に落とされて、そいでだいでん泳げるようになっとばい」
(ペーロンの練習で海に落とされて、それで誰でも泳げるようになるんだよ)
これが、僕にペーロンに乗るように勧めるトークだった。
そんな、危ない話を聞いて、誰が乗るかっての。も乗らないだろう。
幸い、本土(五島の人は本州・九州などをこう呼ぶ)から来たウチの家族は、お盆には墓参りで佐世保に帰るという行事があった。
どげんしても、お盆は佐世保にいかないかんたい。
結局、五島にいた4年間、これを口実に、ペーロンを除隊してもらった。
だが、それが僕に対して風当たりが強くなる一因でもあった。
僕への反感が決定的となる出来事は、五島に来て2年目の9月30日に起きた。
「少年ソフト大会」
新魚目町は、浦桑・榎津・丸尾・似首の4つの地域から成る。
それぞれの地域の小学生選抜チームによる、地域対抗ソフトボール大会だ。
大人達がお金を出し合ったのだろう、僕らは皆、お揃いのユニフォームに身を包んだ。今でこそ、子どもが野球のユニフォームを着ていても珍しくないが、当時は、ユニフォームを着るのは、プロ野球と甲子園の選手だけだと思っていた。
ただし、ユニフォームは9枚に限られていて、レギュラー以外の選手は、魚目小学校の体操服を着て出場する。
ストッキングはお揃いだが、アンダーシャツはなく、靴と帽子は自由。
誰もが無地の白いキャップをかぶっているのに、僕だけは「H」のワッペンがついた帽子をかぶり、明らかに浮いている。
なぜ「H」だったのかは、よくわからない。
恐らく、姉が山口の時に通っていた「豊田東中」の帽子で、それで「H」なのだろう。
夏休みが明けると、代表選手が招集されて、一ヶ月にわたる練習が始まった。
僕は浦桑の選手に選ばれた。
ペーロンは出らんとに、ソフトはずっとや
(ペーロンは出ないのに、ソフトボールには出るんだな)
そんな皮肉を言うものは、浦桑にはいなかった。
僕は、浦桑で2番めにソフトボールが上手かったからだ。
浦桑の指導者は、魚目小の体育教師ヒラタだった。
カレは社会人ソフトボールの選手だったらしい。
全校朝礼で、着任挨拶に立ったヒラタはこう切り出した。
皆さん、僕の顔を知っていますか?
わからないかな。
野球帽をかぶったら、わかるかな。
田舎の子どもたちは、色めき立った。
まさか、プロ野球の選手?いや、そんなわけはない。だとしたら、甲子園のスターか。 後で、社会人ソフトボールと聞き
そんなもん、わかるか!
田舎をなめるな!
と思ったが、周囲の子供達は、そういうことはあまり気にしないようだった。
7/24につづく
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