デコの長い6月
2009-10シーズンを前にしたオフは、デコにとって久しぶりに時間が長いオフになっている。
2003-04オフ
5月にCL優勝後、6月はユーロ(2004)に初出場。終了後、FCポルトからFCバルセロナへ移籍。即、日本ツアーへ参加。ただし、暴漢との諍いによる怪我のため、試合出場は無し。
2004-05オフ
バルセロナの日本ツアー
それも6月と7月に2度来日。
2005-06オフ
ワールドカップ(2006)初出場
バルセロナの米国ツアー
2006-07オフ
日本ツアー参加予定だったが、奥さんが出産のため、急遽来日をとりやめて、ブラジルへ。
2007-08
ユーロ2008出場
ユーロ決勝翌日にチェルシー移籍を発表。
そして、2008-09オフ
6月は、ポルトガル代表の大きな大会もなく、チームのツアーも無し。
しかし、ただ呑気にバカンスを楽しむオフではない。
次の所属チームを早く決めなければならない。
イタリアのビッグクラブ、インテルは2008-09シーズンも優勝し、これでセリエAを 4連覇した。 *2005-06は、上位チームのポイント剥奪による優勝
2008-09シーズンから監督に就任したモウリーニョは、セリエAと欧州CLのニ冠制覇を宣言していたが、CLは優勝からはほど遠い位置で敗退している。
2003-04シーズン、デコがFCポルトでCLを制覇した時の監督がホセ・モウリーニョ。
CL制覇の肩書きを背負い、モウリーニョは英国プレミアリーグのお金持ちクラブ「チェルシー」に移籍した。
その際、DFリカルド・カルバーリョも、道を同じくして、チェルシーへ移った。
モウリーニョはチームの「10」番を背負う司令塔デコにも、同行を求めていたが、デコはすんでのところで、チェルシーを袖にして、あこがれのクラブバルセロナを選んだ。
それから4年後、モウリーニョが去った後のチェルシーにデコは移籍した。
バルセロナ新監督のグラディオラから、就任会見の席で「戦力外」と発表されてしまったのだ。
いったい、デコの何が悪いのかは知らないが、在籍4シーズンで、リーガ(スペイン国内リーグ)優勝2度、欧州CL優勝1度に貢献した選手に対して、ずいぶんな物言いである。
デコはそのような敬意のない人間を快しとしない。
いくら、憧れのクラブバルセロナと言えども、そこまで言われて残ることはできなかった。
デコはバルセロナから、モウリーニョが監督になったばかりのインテルへ移籍するという選択肢もとれたはずだ。
だが、かねてから、一度プレーしてみたいと言っていたプレミアリーグ。
2003年には、ブラジル代表歴がなかったデコを、ポルトガル代表チームに誘ってくれた、スコラーリからの誘いという2つのポイントで、行き先はロンドンになった。
ここで、デコは峠を越えるまで、しばしの栄華を極めるはずだった。
だが、自身の故障、スコラーリに対する一部選手の不協和音が重なり、スコラーリ派と思われているデコは、次第に立場が悪くなる。
そして、スコラーリが解任された時点で、事実上、今シーズンは終わってしまった。
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