みそ汁に入れると美味いということは?
まぁそげん、おちこまんと。
文字にすると微妙な励ましをしてくれたトモコの家は魚屋だった。
ほとんどの家が漁業に従事しているが、魚は魚屋または、となりまちのスーパーで買うのである。
イルカを大量と殺した日、その肉を切り分けてバケツいっぱいに入れて配給するのも、トモコの店の仕事である。
トモコの魚屋は学校帰りにあり、僕はそこを通るのが楽しみだった。
お店の脇にコンクリートでつくった生け簀があったからだ。
そこにはいつも、売り物の魚が包丁でさばかれる順番を待っていた。
はこふぐ(五島ではかっとっぽ)は、おかしな形をしたフグで、気持ち悪かったが、味噌汁にすると美味いと大人は言っていた。
赤い体をしているのはアラカブ。
子供はたいてい煮魚が嫌いである。
唐揚げやカツ、天ぷらといった揚げ物の香りがすると、生きていてよかったと思うが、煮付けた醤油の臭いが台所から漂ってくると、ウチは貧乏なのだろうかと憂鬱な気持ちになった。
アラカブも煮付けや味噌汁に入れると美味いと、やはり大人が言っていた。
だいたい「味噌汁に入れると美味い」というのはどういうことだ?
そのままじゃ、とても食えないということではないのか。
大人がそんな決まり文句を言う度に、僕はそんな味噌汁は食わなくていいと、心で毒づいていた。
ある日、トモコの生け簀に伊勢エビがいた。
十数年来、穴が開くほど図鑑で見続けたアイドル。
その本人が、目の前にいる。
僕は興奮した。
雨上がりの初夏の午後、魚たちも疲れているのか、誰もが動きを止めていた。
伊勢エビも生け簀の右端の日影に陣取って動かない。
五分ほど、見続けていた時、僕は思った。
伊勢エビって、どんなふうに泳ぐんだろう?
少しは動くかも知れないと、体を左右に動かしてプレッシャーをかけてみたが、カレも恐竜のようにでかい僕が怖いのだろう。図鑑に写っていた通りの直立の姿勢を保って動く気配がない。
仕方がない・・
お店の中をのぞきこんだ。
幸い、トモコの両親は店を開けて、居間に引っ込んでいる様子。
チャンスだ。
傘だ。
おもむろに持っていた傘を生け簀にツッコミ、伊勢エビに振りかざした。
すると、伊勢エビはそれまでの鈍重なイメージを覆し、生け簀の左端に瞬間移動した。
伊勢と名前がつくから、不思議な神通力でも持っているのかと思うほど速かった。
「はやっ」
今ならばそう言っただろうが、その時は畏敬の念と心を込めて「はやい」と声に出して賛辞を送った。
それは、ジャイアント馬場がジャック・ブリスコを押さえ込んでNWAを奪取した瞬間
「馬場、世界一!」
とテレビに向かって叫び、母から「わざとらしい」
と言われた時に似ていた。
世界中の悲劇を背負った気分の一週間が過ぎ、僕の顔は元に戻った。
「アワビに当たってから、余計、顔がゆがんじゃったよ」
という新ネタを得て、僕の生活も元に戻った。
だが、一つだけ違っていたことがあった。
あれだけ大好きだったエビが、食べられなくなっていた。
エビ・カニを食べるとじんましんが出る。アワビやサザエ、貝類は怖くて食べる気になれない。
でもカキフライは今も好きで、かっぱえびせんとナゴヤの「ゆかり」は食べられる。
魚は今や肉より大好き・・・
一杯のアワビが、どうしてこんなご都合主義の魚介類アレルギーを引き起こすのか、その謎は依然として解明されていない。
つづく
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