魚目小学校
僕はある時、魚目小学校の生徒だった。
魚目中学校にも通っていた。
ぎょもく小学校ではない。
うおのめ小学校である。
両親から転校先の町の名を聞かされて、子ども心にショックを受けた。
魚の目と言えば、足にできるいぼではないのか。
ラジオのコマーシャルで、ウオノメに効くという**コロリのCMが頻繁に流れていたこともあり、他では言わないことにしようと心に誓った。
だが、過ぎてみれば、そんな風変わりな名前の町に住んでいたことすら、嬉しく思われる。今や秘密どころか、積極的に宣伝したいくらいだ。
町名は「新魚目」だが、校名には「新」は付かない。
魚目小の校舎は3階建て。
体育館と呼ぶにはあまりに小さい講堂があった。
花壇には季節の花、小屋にはうさぎ。
でも、いきものがかりはいなかった。
魚目小学校は新魚目町で唯一の小学校。
1学年は2クラス、70人をちょっと超える生徒数。
ここは漁師の町であり、大半が漁業に従事する住民。
当然、級友も大半が漁師の子どもだった。
初めて登校した日。
僕は級友に取り囲まれた。
いきなり、ぼこぼこにされたのではない(後にはされたが)
皆が、もの珍しそうに寄ってきて質問攻めにするのだ。
かねてから、お調子者の僕は、その期待に応えようと、手持ちのギャグをフル動員して皆を笑いに包んだ。
小学校は榎津(えのきづ)という町にあり、誰かが
「ここはえのきづって言うとぞ」
と言えば、きょろきょろと見回し、壁にかかった絵を指して
「でも、絵にきずはないね」
と返す。書きたくもないようなダジャレは、当時のアイドル堺正章譲りだった。
初日の学校は半日で終わった。
4時間めが終わった時、級友が弁当を広げ始めたからだ。
前に住んでいた山口県の小学校は給食だった。
だから、弁当を食べるのは遠足の日だけと決まっている。
今になって思えば、事前に学校側に確認しておけば済むことだが、昼になれば給食センターから給食が来るということは、お日様が東から昇るのと同じくらいに、疑う余地がなかった。
あ、弁当なんだ・・
そう思うが早いか、僕は荷物をまとめて職員室に向かい、担任のフクダ先生に
「今日はこれで」
と言い残して、さっさと学校を後にした。
学校を出て、しばらく歩いてから、家までの帰り道を知らないことに気づいたのだった。
なんとか家に帰り着くと、僕はマイ自転車に乗り、近所を散策にでかけた。
大きな道路は海辺に一本だけ通っていて、海べりだというのに、ガードレールもなかった。つまり、気をつけて走らないと、そのまま海に落ちるのである。
道幅も狭く、路線バスと車が離合できないため「離合場所」が数カ所あった。
バスが向こうからやってくるのが見えると、クルマは離合場所でバスが通り過ぎるのを待つのである。
そして、迎えた登校2日め。
歓迎ムードの初日とは一転、今度は不穏な空気が僕を包んでいた。
窓際で息巻いていた連中の一人が、仲間を従えて僕の席へ来た。
「おまえ、昨日、自転車乗ったろ?」
は?
それがなにか?
僕には、なにがなんだかわからなかった。
つづく
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