村上龍の略歴
村上龍は 1952年佐世保市生まれ。
1967年に佐世保北高校に入学しています。
後に映画化された私小説「69」は、1969年の佐世保北高校がその舞台。
小説の中では、卒業式粉砕の話が出てきますが、実際にその企てがありました。
ただ、村上龍は首謀者ではなく、むしろ止めるように説得した側。
この時の首謀者、先生、村上龍の関係は複雑だった様子。同級生に今度、聞いておきたいと思います。
1970年3月に佐世保北高校を卒業した村上は、1972年に武蔵野美術大学に入学。
1976年7月、大学在学中に「限りなく透明に近いブルー」で第75回芥川賞を受賞します。
1977年には、NHKラジオの帯番組「若いこだま」でDJを担当。
1978年に、初映画「限りなく透明に近いブルー」を製作。
1980年「コインロッカー・ベイビーズ」発表
1983年、映画「だいじょうぶマイフレンド」制作
1987年、私小説「69」発表
同年、その後シリーズとなっているエッセイ「すべての男は消耗品である」第1巻発表。
1992年、ハウステンボスの開園日に、小説「長崎オランダ村」を発表。実話に沿った私小説。「長崎のロックシーン」という、いかにも長崎県人らしい名詞が出てくる、それは楽しい物語です。
1994年
「五分後の世界」幻冬舎 発表
1995年 エネルギーを操る能力を持つ山岸隆(故人 1949-2000)をとりあげた「超能力から能力へ」を発表(山岸と共著)
当時はまだ、サイキックはキワモノ扱い。
村上龍ほどネームバリューのある作家が、サイキックについて正面から取り上げたのには驚きました。山岸隆は2000年には、UFOで有名な矢追純一との対談「超能力!?いえ能力です」を共著で出版しています。
1999年「JMM Vol.1プロローグ日本の選択した道」発表。
この頃から、インターネットのメディアとしての活用が始まります。
経済に強い作家というイメージができ始めたのは、この頃からです。
2000年「この国には希望だけがない」の名台詞が印象深い小説「希望の国のエクソダス」を発表。
2001年、小説「最後の家族」発表。この小説はテレビ朝日系列でドラマになりましたが、本の売上、ドラマの視聴率共に低調で、村上龍はさぞがっかりしたことでしょう。
2002年、親交の深い中田英寿をモデルにしたサッカー小説「悪魔のパス天使のゴール」発表。
同年、アサヒスーパードライのTVCMに出演。
2003年、小説「2days4girls」発表
"2日間で4人の女とセックスする方法" という副題がついていましたが、ノウハウ本ではなく、久々に出た昔ながらの村上ハードボイルド節でした。
2004年「13歳のハローワーク」発表 挿絵はまのゆか
生活と経済がどう結びついているのかを解説したこの本は、よく売れて、アマゾン売上チャートの1位となり、実用書としては珍しく、図書館の予約ベスト5に顔を出していました。
つづく
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