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2009年8月 6日 (木)

お上下々 官尊民卑 はどーもならん

【 河村たかしを追っかけるがね 第16回 】

 河村たかしと初めて会った委員会で、彼は参考人の僕たちに向かってこう切り出した。

 このお上下々社会のシンボルのような、国会があって、霞が関があって、企業がその下にいる。次の時代には、この官尊民卑を改めなければならない。
 アンケートをとると、子供に全く夢がないという。これは政治の最大の責任ですよ。
なぜ夢がないかというと、議員は二世ばかり、企業は金持ちばかり、こういう国を変える意味において、官尊民卑はよくない。

 この時「官尊民卑」という単語は僕の耳にとまらなかった。
 当然、官僚についての問題意識もない。
 あとで議事録で読んで、そんな言葉があることを知った。

 民主党は、官尊民卑すなわち官僚政治の打破。政治主導への転換をマニフェストの柱の一つにしている。
 「政治主導」とは、政治家が政治の主導権を握ることだ。

 え、今もそうじゃないの?
 と思う国民が多いだろうが、今の日本の政治は、官僚主導による官僚政治である。

 日本は法治国家である。
 法治国家とは、法律が国を統治する国。
 政治は、法律をもって行われる。
 法律に決められていない、政治はない。
 郵政民営化も、エコポイント制度も、すべて法律で決まっている。

 法律をつくるのは、国会。
 国会は唯一の立法機関である。

 法律を審議するのは、国会議員だが、法律の草案を準備するのは官僚である。
 本来ならば、政治家が法律の全文を起こせばよいのだが、そこまでの力量がある政治家は少ない。
 もし、そんな政治家が居たとしても、そんな能力は票にならない。
 有権者は、そんなところを見ていないからだ。
 ゆえに、大半の法律が官僚の手によって、作られている。
 これが、官僚主導である。

 「官僚から政治家に主導権を取り戻す」 というと、あたかも官僚が悪人であるかのように思う人がいるかも知れない。
 だが、それはまちがい。
 これまで、政治家が政策に無関心で、能力が乏しかったために主導権が官僚側にあっただけのことで、官僚が悪者なのではない。
 官僚が悪く言われるのは、天下り、渡り、権限を利用した口ききなどで、自らの財を成す人が一部にいたためだ。
 それは一部であり、全部ではない。
 ただし、今の仕組みでは、誰もがその「悪い官僚」になる可能性をはらんでいる。

【 河村たかしを追っかけるがね 】 は、毎週木曜日に掲載しています。

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