「父危篤」漢字になった情報
「まだあるとよ」
ありがとうございます。すごいよかったです。
次の日、サトウにLPを返して感想をいうと、つづいて彼女は
「センチメンタル」を貸してくれた。
この時点のリアルタイムは「二色の独楽」すでにライブ盤を含めて5枚が発売されていた。
自分がその対象に出会った時、世の中の流行とタイムラグがあると、この "遡り"が嬉しい。
一気に5枚のアルバムが自分のためにリリースされたようなものだ。
ピークを外しているので、レンタル店でもすぐ借りられる。
「陽水IIセンチメンタル」では、新たな驚きがあった。
フェードアウトしかけた後奏が、一気にトップボリュームに戻る「夜のバス」
おもしろいアイデアだが、音楽としての意味合いが薄いため、他でこれを真似した楽曲を聴いたことがない。
「帰郷」には"危篤電報を受け取って"と副題がつく。
その曲を書いた背景をサブタイトルでつけたのは、これが日本初ではないだろうか。
そのタイトルがなければ、陽水が「チチキトク」の電報を受け、郷里へ向かう淡々とした気持ちを歌った曲だとは知る術もない。
人は危篤の報に接して、これほど空気が真っ白になるのか。
今ならば、その報は携帯電話。あるいはメールで届く。
「父危篤」「父臨終」
漢字になった情報は、そのコトバにいろいろな色の意味がつく。
だが、伝え手の体温がない。
"床に倒れた老婆が笑う"
「東へ西へ」の歌詞を聴いて、正月に従姉妹が言っていたフォーク歌手がつながった。
子どもの頃から聞いてきた歌謡曲と、明らかに違う。
そのエキセントリックな歌詞はボブ・ディランの影響であると陽水が語っている。
2009年8月、NHK「LIFE井上陽水40年を語る」で、陽水が久しぶりに全国をくまなく回っていると言っていた。
コンサートツアーというのは長くても半年くらいだと思っていたので、はなからもう終わったのだと思っていた。
「陽水を一生に一度見たい」この3年、念仏のようになっているコトバを日記につけていたら、友達がちょうど明日からチケットが発売であると教えてくれた。
2009年11月11日、東京国際フォーラム
ツアー日程を見ると 40周年にちなんでツアーは40公演で終える様子。
これが、東京では最後のチャンスになる。
先送りしてきたものが、急に目の前に対象として降りてきた。
いよいよその時はきた。
陽水を見に行こう。
つづく
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