学生の時のあの食堂は今?わが心の黒田庵
昔はコンビニがあった角を曲がると、そこからは黒田庵までの一本道。
交差点の先に黒田庵はある。
時計は17時を回ったところ。
店がまだやっていれば、そろそろ開店の時間だ。
交差点で一時停止して前方をみると、懐かしい黒田庵ののぼりが見えた。
やった、やっている。
お店の前には、その昔そこが何だったかはわからないがコインパーキング。
怪しまれないよう、周囲に気を配って一眼レフで写真をがしゃり。
財布とU太郎を持って、のれんをくぐる。
もうやってますか?
お店には奥さんとお孫さんらしき子どもが二人。
テーブルに座ってなにやら話し込んでいた。
あ、確か・・
うっすらと覚えていてくれた様子。
かつて、僕がいつ頃この店にきていたか。
その頃、ご主人になんと呼ばれていたかを話す。
「よっ、編集長!」
僕が店にくる
厨房の小窓から大将が顔を出す
学校の部活でミニコミ誌「ちょびっと」をつくっていた僕のことを、彼は「編集長」と呼んでもちあげてくれた。
ちがいますよと言いつつ、いつもの席に座る。
そんな粋なやりとりが学生の僕には、大人のまねごとのようで楽しかった。
場所はカウンターの小窓のちょっと左側。
でも、いつも店は混んでいて、その席に座れるとは限らなかった。
空いている時間にゆっくり食べようと思い、わざと夜の9時頃に出かけることもあった。
「天国に行ってね」
奥さんがぽつりと言う
いや、インターネットでそれらしいことを書いているページがあって、そうかなとは思っていたんですが・・
それは急な旅立ちだったらしい
ある日突然。入院したわけでもなく
まさに、長野県でやっている「ピンピンコロリ」そのもの
その日、父が余命数ヶ月であることを医者から聞いた。
父は長く病床に伏していて、今は言葉もはっきりしない。
送る身になってみれば、突然の死は途方に暮れるものだろう。
だが、人生は本人のもの。
逝く直前まで厨房に立ち、にこにこと客に愛想を言った人生は幸せだったろうと想う。
高知で買ってきた飯盗は、ご仏前に供えていただいた後、奥さんに食べていただくことにした。ただ、あのきつ~い味が大丈夫だったろうかと、今となっては心配である。
さくさくさく
かつて、大将が切っていた上定のチキンカツを今日は奥さんが切る。
ファンにとって気がかりだった、跡継ぎは「今、修行中」という。
跡取りがつくる黒田庵の味を、また数年後、博多に立ち寄った時に味わいたい。
「今くるよ」に似ていると書いたのは今となってはちょっと違っていて、めぞん一刻の一の瀬さんに似ていると思った。
そんなことを言ってもわからないだろうから、言わなかった。
久しぶりの上定 替わらぬ品数、圧倒的なボリューム。でも正直なところ、食べ盛りをとうに過ぎた身には多かった。ネットには載せない、僕だけの記念という約束で 1度だけU太郎のシャッターを押した。
この店で食べるカレーはとても美味しい。
確か以前は「業務用インドカレー」だったと思う。
いま、スーパーを回っても「ハウスインドカレー」はどこにも見あたらない。
あの大将のカレーをいつか作ってみたいと思い、この秋から試行錯誤が始まった。
明日はいよいよ、この旅のメインイベント「軍艦島上陸」である。
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コメント
昨年末(2012年末)あたりまで奥さまがお一人で営んでらっしゃいましたが、今年に入ったあたりから営業しておらず、とうとう先月末(6月末)で看板なども撤去されてしまいました。完全閉店だと思います。
営業をされてないときも、時折奥さまの顔を見ていましたし、多分店の奥はご自宅だと思うので、あそこには居らっしゃると思いますが、正確なことは分かりません。
ただ、看板が撤去され完全に閉店してしまったことだけは確かなようです。
たまたまサイトで『黒田庵』への愛情たっぷりの文章を見つけたので、お知らせまで。
同じく『黒田庵』常連より
投稿: きくぞー | 2013年7月 9日 (火) 03時36分
情報をいただき、ありがとうございました!
この夏は久しぶりに行こうと思っていたのですが、とても残念です。
いつまでも、お二人の笑顔は忘れられないですね。
投稿: moto | 2013年7月 9日 (火) 19時57分