軍艦島上陸前
自分だけが切り取る風景を映したい。
せっかく軍艦島に上陸するのだから、ほかの誰もが撮るような写真だけではなく。
自分の視点でこれというものを1枚だけでもいい。
過去に他の人たちが撮った写真を全部見ておこう。
そう思い立ち、軍艦島に関する写真集・書籍を一通り見て読んだ。
軍艦島-雑賀雄二写真集 棄てられた島の風景-
軍艦島の遺産-風化する近代日本の象徴-
軍艦島全景-gunkanjima odyssey archives-
軍艦島-眠りのなかの覚醒-
1972青春軍艦島
軍艦島海上産業都市に住む
記憶の「軍艦島」
軍艦島にまだ人が住んでいた頃の記録
無人島になった軍艦島に上陸して撮った記録
だが、今回観光ツアーで上陸する自分らには、これほどの環境は与えられないだろうと推察された。
それゆえに、自分だけの視点を象徴する小細工が必要だと感じていた。
軍艦島はかつて炭坑集落だった、長崎県長崎市の沖に浮かぶ無人島。
正式名称は端島。
北西から見た外観が軍艦に似ていることから、こう呼ばれている。
島の大きさは面積で6.3ヘクタール。外周はわずか1km。
大人の足でゆっくり歩いても15分程度。
かつて、人が住んでいた当時には役場支所、郵便局、病院、幼稚園、小・中学校、銭湯、市場など生活に必要なものは揃っていた。
映画館、パチンコ屋、テニスコートなどの娯楽施設もあり、弓道場まであった。
【 軍艦島の歴史 】
1810年
漁民が炭坑を発見
1890年
三菱が地主から炭坑を譲り受け、三菱鉱業高島鉱業所端島砿オープン。
行政管轄は、西彼杵郡高島町役場端島支所が受け持った。
1916年
朝日新聞が端島は「軍艦に似ている」と報道。これ以来、端島に軍艦島の愛称がついた。同年、日本初の鉄筋高層アパートが建設された。
1960年代初頭
炭坑に就業する家族ら5,000人が住んでいた。
1963年
日本で初めて屋上緑化に取り組んだ。鉄筋アパート、屋上緑化といい日本の最先端がかつてここにあった。
1973年
12月、石炭の採掘停止。
1974年
1月15日、すべての炭坑が閉鎖され、4月には最後の住民が島を離れて、無人島になった。
1986年
写真集が発売された。「軍艦島-雑賀雄二写真集 棄てられた島の風景-」雑賀雄二 新潮社 巻末には、閉山から島民が島を離れるまでの日々の記録が添えられている。
2003年
7月発売の書籍「バトル・ロワイアルⅡ」杉江松恋 の舞台となる。主人公 七原秋也が籠城する軍艦島を巡る攻防が描かれた。映画「バトル・ロワイアル2」のロケは軍艦島で行われた。ふんだんに火薬を使っており、今見ると「おいおい、あんまり壊すなよ」とちょっと冷や冷やする。
2003年
9月10日、長崎~野母崎航路が認可。海路の途中に軍艦島のそばを通るが、上陸はできない。同年、軍艦島を世界遺産に登録する運動が始まった。
2004年
7月3日、観光船「軍艦島クルーズ」就航。十月まで毎週土曜・日曜に往復2便運航。
2005年10月
「軍艦島の遺産」後藤惠之輔 坂本道徳 長崎新聞社 出版
炭坑という視点から詳しく書かれている。
2007年
長崎県が1億5,000万円をかけて、観光用の基盤を整備。上陸ツアーの準備が始まる。
2009年
4月22日、上陸解禁 観光ツアーが始まった。
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