« 博多ドライブ | トップページ | 上と下で違うユニフォームを着るポルトガル »

2009年10月 3日 (土)

オビスポとイチローとサラリーマン

 ウィルフィン・オビスポ Wilfin Obispo
 はMLBマイナーから巨人に移籍した投手
 1984年9月26日、ドミニカ共和国生まれ
 ヒーローインタビューは、母国語スペイン語で答えている。

 

 2004年、MLBマイナー在籍時に遊撃手から投手に転向したので、投手歴はまだ5年。

 

 2007年3月13日、巨人の春期キャンプでテスト合格し育成選手として契約。
 同年6月27日、支配下選手登録 背番号91
 同年8月13日、出場選手(一軍)登録されて、2試合に登板
 しかし、故障のためオフには再び育成選手契約となった。

 

 このシーズンまで、オビスポは「巨人一の速球投手」
 久しく150kmを投げる投手がいなかった巨人のファンは、オビスポの故障に落胆した。
 オビスポ故障と時を同じくして、横浜からクルーンが入団。
 ”巨人一”の看板もなくなり、このまま忘れ去られるかに思われた。
 ところが、故障が癒えると翌2008年シーズンは、21セーブでイースタン・リーグのセーブ王となる。
 そして2009年シーズン、7月2日に初先発初勝利。
 7月22日、初完投勝利。
 9月23日、優勝を決めた試合に先発して5勝(1敗)めを挙げた。

 

 かつての巨人を評して、落合監督は「4番ばかり獲ってきてもちっとも怖くない」と言い、事実巨人は松井に逃げられた2003年から長く低迷した。
 WBCには選手派遣なし、オールスターゲームでは原監督推薦の和田・岩瀬出場を拒否した中日。
 それでも巨人が中日をおさえた要因はスカウティングにある。

 

 山口、松本、オビスポは育成選手上がり。
 坂本は巨人、中日が競合指名でクジを引き、中日が獲得した堂上のハズレ1位である。
 9月中旬から戦力になりつつある中井はドラフト3位だ。
 ヤクルトから獲得したゴンザレスは、4月いっぱいまで2軍にいた。

 

 プロ野球選手にはチャンスが必要だ。
 そのチャンスを与えるか否か、殺生与奪権は監督が握っている。
 もしも松井やイチローを超える選手がいたとしても、監督が起用しなければ、クビになるしかない。

 

 先日亡くなった土井正三氏のことを「オリックス監督当時、イチローを使わなかった監督」として認識している人がいる。事実はその通りだ。1~2年めからイチローを一軍で使っていれば、さらにヒットを打ったかも知れない。

 

 土井氏の生前の話に「川上さんが高田さんに厳しく接したことに重ねた。素質が大きいからこそ厳しく育てた」というものがある。その言葉に嘘はないだろう。

 

 

 巨人は明らかに活性化した。
 育成、2軍にいる選手にもチャンスがある。
 現場で見ている中間管理職が、上級管理職へしっかりと情報を伝えてくれる。
 上級管理職は、中間管理職の意見を聞き入れ、チャンスをくれる。
 努力していれば、報われる日がくる。
 選手たちは、そう信じることができたのだ。

 

 それは、サラリーマン社会ではあり得ない話だ。
 「誰かがきっと見てるよ」
 「見ている人は見てるよ」
 それは、本人のこころの中にある見解であり、他人が言うことではない。

 

 目の前にいる中間管理職が、自分をよく見ている。
 自分に登用について、上級管理職へ進言してくれる。
 そう思うことができる、幸せなサラリーマンは1割にも満たないだろう。

 

 ただ、プロ野球と違うのは、サラリーマンの殺生与奪権は管理職が握っていないということだ。
 チャンスは「採用」の時点で、全員に与えられている。
 努力している人、能力が長けている人に対して、管理職が「きみ、クビ」と宣告することは、法律が許していない。

 

 やるもやらないも、自分が決めることができる。
 誰が見ていようが、見ていまいが、やることをやる人はやるし、やらない人はやらない。
 サラリーマンは恵まれている。

 

| |

« 博多ドライブ | トップページ | 上と下で違うユニフォームを着るポルトガル »

スポーツ」カテゴリの記事