« 初陽水まで45分 | トップページ | 佐世保散策 »

2009年11月15日 (日)

欧州プレーオフ 2000万人の願い

ボスニア・ヘルツェゴビナは、ユーゴスラビアから分離独立した東欧の国。

■日本との時差 8時間
■人口:450万人
■面積:5万平方km  国土は日本の0.13倍
■宗教:カトリック、セルビア正教、イスラム
■公用語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
■通貨:コンベルティビルナ・マルカ

イタリアの長靴の東側の海はアドリア海。
その東に位置する。
岸には近いが、海にはほとんど面していない。海岸線はわずかに10kmだけだ。
恐らく国じゅうの人が、夏には海を求めてその10kmに殺到するのだろう。

首都はサラエボ。
まだユーゴスラビアだった1984年に、サラエボで冬季五輪が行われた。

1991年
6月、ユーゴスラビアからスロベニア、クロアチアが独立宣言。
9月、マケドニアが独立宣言。

1992年
3月、ボスニア・ヘルツェゴビナが、ユーゴスラビアからの独立を宣言。
直後からクロアチア人、セルビア人による紛争が始まり、1995年まで続く。
この紛争で20万人が死亡した。

1995年
12月14日、ディトン合意。
この合意により、ボスニア・ヘルツェゴビナは「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国からなる国家」と規定された。

1998年
9月、日本を含む各国がPKOで国政・地方選挙を監視。
その記録が「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ国際平和協力業務記録写真集」として出版された。

この時点で、隣接国はクロアチアとユーゴスラビアだったが、ユーゴスラビアは2003年にセルビア・モンテネグロとなり、その時点で「ユーゴスラビア」という国名は消滅した。
ユーゴスラビアは最終的にスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの国となった。

ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年に独立して以来、1994大会から4回のW杯予選に出場。いずれも予選敗退。
今回5度目にして初めてプレーオフ進出。
ポルトガルとの2試合にW杯初出場がかかる。

W杯出場は、戦禍をくぐり抜けたボスニア・ヘルツェゴビナ450万人の願いである。
だが、人数ならばポルトガルが上を行く。
ポルトガル国民1080万人
世界中にいるロナウドのファン?万人
世界中にいるデコのファン?万人
W杯の興行収入で生計を立てる人たち・・
合わせれば、優にボスニア・ヘルツェゴビナ・サポーターの 3倍はいる。

いよいよ、デコ最後のW杯に向けて、決戦が火蓋を切る。



| |

« 初陽水まで45分 | トップページ | 佐世保散策 »

デコ」カテゴリの記事