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2009年11月17日 (火)

会議は立ってしよう!

 会議とは、個人で完結し得ないテーマに限り、直接顔を合わせて「決める」場のことである。

 一人きりでやっている会社では会議はない。
 会社が専門性と責任感を備えたプロばかりの集団であれば、会議は存在しない。

 だが、会議は行われる。
 それは人員配置において、専門性と責任がリンクしていないことによる。

 専門性が高い人に権限がない。
 専門性が高い人の上に、専門性の低い人が権限者として存在する。

 こうなると会議が始まる。
 権限者は自分には専門性がないので、専門性が高い人を呼んで会議で意見を言わせ、それを自分の決定として使いたいからだ。

 また、各自の既得権(=雇用)を守るために、他人を追及せず、責任はとらないで済ませようという風土の会社でも会議は多い。
 そういう会社の会議は「話し合い」ではなく「お通夜」となる。

 誰も責任を取りたくない。
 言い出しっぺがやらされる。
 他人を批判したら、人間関係が壊れて、その火の粉が自分にかかる。

 誰が喋るか・・ってなもんだ。

 こうしたそもそも不要なのに、集まるとお通夜になる会議の共通点がある。
 それは「座っている」ということだ。

 人は座ると長話になる。

 椅子のある会議はまず雑談から始まる。
 そこで「議論を尽くして、のんびりやりましょう」という空気が完結する。
 集まったことで目的が終わってしまう。

 この時点で緊張感はなくなっており、なにかを「決める」ために集まっていたということさえ忘れている。
 そもそも会議とは何かを「決める」場だという認識がない人すらいる。

 会議肯定派は、ふた言目には
「フェースツーフェースじゃないとわからないことがある」
「人と人のつながりが大切」
などという。
 だが、それは的外れ。
 人格を形成し終えた大人どうしが、その日の天候や、電車のダイヤが乱れたことを確認しあっても、人間関係はできやしない。

 人間関係は会話で醸成するものではなく、心根の真摯さでつくるもの。
 互いが努力を惜しまず、協力して一つの目標に突き進もうという真摯さをもって仕事をしていれば、メールや電話でも仕事は進む。

 座ってする会議はお通夜を容認する。
 10人いて10人が発言しなくても、座っている会議は間が持ってしまう。
 立ってする会議ならば、10人が黙っている状況は生理的に受け入れられない。
 「早く決めて、自分の席に帰って座りたい」
 と誰もが思うから「決める」という目的が明確になり、会議は早く終わる。

 また、人は走ることで進化したという学説がある。
 立って足の裏を刺激していれば、脳は活性化し、ストレートな意見が飛び交う。
 椅子に座り、足を組んでいたら、眠くなるだけだ。

 会議の開催を決め、会議室をおさえた時
「長くのんびりやろう」としている自分に気づく。
 気づいたらすかさず、会議室をキャンセルして、参加者にメールを出す。

■○○打合せ
 10月19日<火> 10:00~10:10
 5階 佐藤さんヨコミーティングスペース(立席)



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