毎日なにか捨てる
今年も大掃除の季節がやってくる。
いつか使うかもしれないと思っていたモノ。
ヒマがある時に整理しようと思っていた資料。
大掃除の日にそれらに再会すると、なぜ日頃から、整理する時間をとらなかったのだろうと思う。
同感だと思った方は 「毎日なにか捨てる」を座右の銘にするとよい。
一日一善 同様、一日一捨
大掃除の日にまとめて捨てるのではなく、1日1つ何か捨てる。
事務机に、ノベルティでもらったペン、沢山の色の蛍光ペン、整理していないメモの紙切れなどが貯まっている。
「えっと、赤の水性ペンはどこだ?」というような日々のルーチンワーク(いつもの仕事)が毎回数秒ずつ遅くなっている。
いつも使わないモノを捨てるか、どこか別の場所に仕舞うと、新しい時間が手に入る。
人とのつきあいも捨てる。
年賀状の宛名書きをする時、考えてみる。
最後に会ったのはいつだったか?
最後に電話で話したのはいつだったか?
いつまでも年賀状だけ続けるのではなく、捨てていく。
会社の机にたまっている名刺は、住所録に入力したら捨てる。
本棚に立てている本も捨てる。
知識は脳に入っている。
手にとって調べたくなったら、すべての本は図書館かamazonでみつかる。
ただし書籍と比べて、雑誌の再入手は難しい。
本棚のスペースは、大部分を古雑誌にあてがう。
知識も人との出会いも、捨てると新しいものが手に入る。
「見込みリスト」や「アドレス帳」に、たくさんの人が載っている。
だが、どれも見込みがほとんど消えている候補。
それでも、並んでいるだけで、知らず知らずのうちに、かけても意味のない時間を積み重ねてしまっている。
ある時、ばっさり捨ててしまえば、自分が気づかなかった世界が目の前に広がるだろう。
身近な人が死んでいなくなると、肉体としての相手は消えるが、
以前よりも心のなかに大きな存在となって現れる。
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