« 生還 ポルトガルW杯出場決定 | トップページ | 「いっそセレナーデ」には、誰も逆らえない »

2009年12月 7日 (月)

弁当をひっくり返した思い出

 2005年2月13日、平成の大合併で下関市と豊浦郡四町が合併し下関市となった。
 豊田町のカタチは白地図でみると北海道に似ていた。
 それも今は下関市の一部、懐かしい境界線を見ることもない。

 

 

 

 下関インターから小月インターまで高速に乗る。
 小月からは昔、慣れ親しんだ道。
 かつて父が運転するスバル360の後部座席から見た道を、自分の運転で走る。
 高速のガードをくぐると、すぐに田園風景が広がる。ここは時が止まったかのように何も変わっていない。
 その当時、田んぼの中に突如現れた豪邸を「あの家」と名付け、通りがかる度に誰かが「あ、あの家」とツッコンだ。
 あの店、あの橋、あのカーブ
 車窓に現れる目印で、目的地が近づくのを感じていた。
 いつもと同じ本田路津子やベンチャーズの曲だけが流れる車内。僕らは娯楽に飢えていたのだろう。

 

 

 

Gesan  左手に華山(げさん)があることを確認する。あいにく雲がかかり、頂上は拝めない。
 山だけはさすがに「数年前取り壊して、駐車場になりました」ということがない。
 標高713m 物心ついて初めて高さを覚えた山。
 毎年、西市小学校ではこの山に登る日があり、全校生徒が 713mの頂上を目指した。

 

 

 

 ある年の華山登山。麓付近にある徳仙の滝でのお昼のこと。
 楽しみにしていた弁当箱を開けた途端、バランスを崩して中身をひっくり返してしまった。
 必死に何か一つでも救おうとしたがかなわず、青コケにまみれたリンゴや卵焼き。
 もったいないという気持ちより、恥ずかしさが先に立った。
 すぐさま拾い集めて箱に戻すと何ごともなかったかのように、ゴミ箱に捨てた。
 お腹が空いたことよりも、せっかくのお弁当を台無しにしてしまったことにうちひしがれた。

 

 

 

 そのことは誰にも言わず、心にしまった。
 華山の姿をみて、ずいぶん昔のことを思い出した。
 今助手席で外を眺めている母に、今更言うことでもないなと独りごちた。

 

 

 

 豊田下小学校を過ぎて旧道へ左折する。
 グーグルマップができてすぐ、懐かしい町を検索した時に、町の東側を抜けるバイパスができたことを知った。
 バイパスができると、急速に旧道沿いはさびれる。
 西市の町はどうなったのか。

 

 

 

 小学校時代を過ごした家は建て変わり、またその家も火事で全焼して今は2世代後の家が建っている。
 数十年ぶりに尋ねた幼なじみタロウの家で、その父が教えてくれた。
 玄関を出てきた時、あまりにタロウに似ていたので「タロウ?」と叫んだら苦笑いしていた。

 

 

 

Photo  木屋川の土手に登る。
 子供の頃、背丈の数倍あった土手も今は昔。
 土手の手前から立ったままで、向こう岸が見えそうだ。

 

 

 

 雨が降った直後にしては、木屋川の水量は少なく、懐かしい月照橋(げっしょうばし)も昔のままの佇まい。

 

 

 

 夏休みはこの川がプール代わり。向こう岸までたどり着くのは決死の思いだった。

 

 

 

 月照橋を渡り西市の町中へ入る。
 小1の時担任だった先生、いつも仲良く帰った友達。
 一軒ずつ訪ねてみたいと思う。

 

 

 

M  「ほたるの里ミュージアム」は町の東側、田んぼだった所にできていた。
 建物は上空から俯瞰するとホタルのカタチなのだが、人の高さでみるとなんだかよくわからない。
 お盆なのだが、駐車場にクルマはまばら。
 混んでいる場所が好きなわけではないが、あまりの閑散とした空気にたじろいだ。

 

 

 

 

 

 

| |

« 生還 ポルトガルW杯出場決定 | トップページ | 「いっそセレナーデ」には、誰も逆らえない »

旅行・地域」カテゴリの記事