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2010年1月24日 (日)

栄光のアンリが奪ったアイルランド選手、一生に一度の機会

1月16日
プレミアリーグ home サンダーランド ○7-2
前節のハル・シティ戦はロンドンに降った大雪のために延期。
その日程は後日どこかに組み入れられる。
リーグはその試合を飛ばして、予定通りのカードが行われる。

この試合は NHK BS1が1時間遅れで放送。
4日前、公式サイトで練習復帰が報じられたデコ。
ドレッシングルームの通路にその姿を探したが不在。
NHK制作の画面では、主な欠場選手として紹介され、控えリストにもその名はなかった。

1月18日
FIFAがハンドのアンリを処罰しないと発表。
既にフランスが出場すること、アイルランドにはチャンスがないことが確定していた。
この決定により、アンリが 2010W杯に出場する障害がなくなった。

デコがW杯に出られない??
そんな危機感で暮らしていたのは、まだ2か月前のこと。
エクセルに得点表をつくり、上位チームの予想戦績を書き込んで、気を紛らわせていた。
ポルトガルは審判に泣くことなく、グラウンドの上でフットボールの技量において、相手を上回り勝利を得た。

だが、もし、プレーオフ第2戦に 相手チームのハンドによるゴールで W杯への道を絶たれていたとしたら・・・
それはあまりに恐ろしい。

フットボール選手の寿命は短い。
FIFAランキング トップ10にはいるチームにいたとしても、出場機会は多くて3回。
平均すると2回だ。
ましてや、トップ10以下のチームにおいては、一生に一度の機会。

アイルランドの選手たちは、アンリによって、その機会を奪われたのだ。
選手本人、家族、親戚、ファンは どんな気持ちになっただろうか。
それは、経験したものでなければわからない。

Thierry Henryは勝つためには手段を選ばないプロ・フットボール選手。
位置FW 国籍フランス 2010年8月で33歳。

【 アンリの略歴 】
1977年
8月17日生まれ デコと同じ年月、アンリが10日早く生まれている。

1995-96
プロフットボール選手としてデビュー フランス・リーグ1 クラブチームはモナコ

1997-98
フランス大会でW杯初出場 フランスは優勝した。
アンリはチーム最多得点を記録。

1998-99
1月、冬の移籍市場でユベントスへ移籍
7月、プレミアリーグアーセナルへ移籍

2004-05
プレミアリーグ得点王(25得点)

2005-06
アーセナルとの契約最終年度。契約延長せずシーズン入り。
シーズン終了後、FCバルセロナへの移籍が決定的と多くのファンが考えていた。
契約満了後の自由移籍ではアーセナルには1円も入らない。
アーセナルとしては、ここで売っておきたかったはず。

5月7日、プレミアリーグシーズン終了 得点王(27得点)
5月17日、移籍の噂を報道されていたFCバルセロナとCL決勝で対戦。アンリのFKをキャンベルがヘッドで決め先制したが1-2で敗れた。
5月19日、アーセナルと新たな4年契約を結ぶ。これには驚いた。結果的には翌シーズン終了後、FCバルセロナへ移籍。アーセナルには移籍金が転がり込んだ。

7月、W杯ドイツ大会 決勝進出。
延長後半途中交替。イタリアに敗退。
同一シーズンでCLとW杯の決勝に進み、共に敗れた唯一の選手となった。

2006-07
シーズンオフ、FCバルセロナへ移籍 4年契約
uniform number14 アーセン・ベンゲル監督がアーセナルとの2008年以降の契約を延長しなかったことを一因に挙げた。
デコと1シーズンを共にした。

2009-10
11月18日、W杯2010欧州予選プレーオフ第2戦延長 パドリング(手によるボール制御)で決勝ゴールを挙げる。

スポーツ選手ならばボールが手に当たった時点で手を引く。
アンリは手で2度ボールをぽんぽんとはたき、足下へ落としシュートした。試合後「手に当たったが審判が止めなかったのでプレーした」とコメントした。
このプレーにより、いったいどれだけ多くの人が悲しみに暮れただろう。
アンリは「アイルランドとの再戦を支持する」とコメント。
アイルランド国民やフットボールファンへの謝罪の言葉はなく、問題のすり替えに執心した。

W杯に何度も出場し、ワールドカップも掲げた。
そんな栄光の選手によって、アイルランドの選手たちは、W杯出場という一生に一度の機会を奪われた。



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