410年!日蘭交流の歴史
つづいて、自分たちで国をつくったオランダの主な歴史
1581年
北部ネーデルラント7州が「オランダ連邦共和国」として独立宣言
1600年
帆船デリーフデ号が日本に漂着 日蘭国交が始まる。
デリーフデ号を再現した帆船が、長崎ハウステンボスのオレンジ広場に停泊している。
1609年
東インド(後のインドネシア)に総督を置き、植民地支配を始める。
1795年
フランス革命軍に全土を制圧され滅亡。フランスの保護国「バタヴィア共和国」となる。
1806年
「オランダ王国」と改名。フランスの従属国となる。
1814年
民衆が蜂起して、北部・南部ネーデルラント(現在のオランダ・ベルギーの場所)に「ネーデルラント王国」が発足。
1830年
南部ネーデルラントがベルギーとして独立。
1940年
ナチスドイツがネーデルラント王国を占領。
1944年
ベネルクス関税同盟をむすぶ。これが後のEEC発足のたたき台になった。
1945年
連合軍によって占領から解放される。
1949年
NATO結成と同時に加盟。
1950年
東インド植民地がインドネシア共和国として独立。1609年以来の植民地支配が終わる
1958年
欧州経済共同体(EEC)発足にあたり、重要な役割を担う。
そして、最後に日本とオランダ 国交の歴史。
1598年
オランダのロッテルダムをエラスムス号など5艇の帆船が出航。途中、4隻は引き返したり行方不明となるが、エラスムス号改めデ・リーフデ号だけが積み荷の毛織物の貿易のため日本を目指した。
1600年
4月19日、デ・リーフデ号に乗ってウィリアム・アダムス(後に三浦按針)が大分県の臼杵湾に漂着。
1609年
7月25日、朱印状(通商許可証)が発行される。同年、平戸にオランダ商館が開設される。徳川家康は商館を浦賀に置くことを希望したが、初代館長ジャックス・スペックスが平戸港を気に入っていたため平戸に置かれた。
この史実が長崎とオランダの交流、オランダ村・ハウステンボスの建設というストーリーにつながっている。
1641年
鎖国のため商館が平戸から出島に移る、幕府は交易相手を清国とオランダに限定。
1843年
オランダ国王が徳川家慶に鎖国の危険性を説く書簡を送る。
1858年
修好通商条約締結
1859年
出島の商館閉鎖
2000年
日蘭国交400周年。長崎市~平戸市の国道が「オランダロード」として整備される。
2009年
日蘭通商400周年
2010年
長崎市の出島復元が完成予定。
オランダの皆さん、これからもよろしくお願いします。
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