« W杯における、誤審とCL決勝敗退のジンクス | トップページ | サッカーにおける「消えている時間帯」と、野球の「打ち直し」 »

2010年7月 1日 (木)

まだやっている「感動をありがとう」

6月29日
ベスト16
パラグアイ 0-0 (PK 5-3) 日本

決着がついた後、南アフリカの試合会場にいた中田英寿が
およそ、次のような趣旨の敗戦理由を述べていた。

「日本は 100% の力を出せなかった。デンマーク戦と同じように、サイド攻撃を多用すれば勝てていた」

すると、日本のスタジオにいたサッカー番組によく出る芸人が、それを遮った。
まるで、がんばった選手たちに敗戦の理由を突きつけるのは酷だ。今は健闘を讃える時だと言わんばかりに。

中田は「原因を明らかにするところから始めなければならない」と食い下がったが、それ以上は言わなかった。
中田は思っただろう。
この人たちは8年前と ちっとも変わっていない。
日本サッカーを停滞させているのは、こういう取り巻きの人たちだ。

2002年に自国開催のW杯でベスト16入りした時、メディアは「感動をありがとう」「夢をありがとう」と繰り返した。
村上龍と中田英寿は対談形式の著書で、その姿勢を批判している。
原因を突き詰めて総括しなければ、前には進めないのだと。

その4年後、自主性という名の元に何もしないジーコ監督により、日本は惨敗した。
すると、ジーコを名前で選んだ川淵三郎は「後任監督 オシム あ、言っちゃった」の迷言で、原因究明をうやむやにした。

そして、その4年後の今。
期せずして「0勝3敗」の下馬評は、ベスト16 になった。
W杯前、寄ってたかって酷評していた人たちは、拳のおろしどころを失い、ばつが悪い。
帰国した選手たちは、にこにこしてテレビ番組をはしごして、もてはやされる。
大多数の国民が「よくやった」「ありがとう」と 笑顔に包まれている時、表だって日本代表を批判することは難しい。
恐らくメディアは、岡田の責任を追及できず、その責任をうやむやにするだろう。

サッカーに限らず「総括」は必要だ。
一度、時間を止めて話し合い、原因を明らかにしなければ、また同じ轍を踏む。
だが、原因を明らかにすると、偉い人は責任を問われる。
ゆえに偉い人は「総括」を避ける。

こうして、本来ならば問われるべき大きな責任が隠蔽され、PKをクロスバーに当てた選手といった、現場にいる人の責任が前面に出る。

日本には古くから「水に流す」というよい習慣があるが、これは「恨み」を忘れることであって、責任を問わないことではない。
責任を水に流してはいけない。

次の大会はベスト16から始まるのではない。

| |

« W杯における、誤審とCL決勝敗退のジンクス | トップページ | サッカーにおける「消えている時間帯」と、野球の「打ち直し」 »

デコ」カテゴリの記事