佐世保 相浦中 二人の捕手
今日は佐世保市立相浦中出身の2人の捕手について。
相浦にある城島健司ベースボール記念館。
佐世保に住む大半の人が「あるらしい」ということは知っていても「行ったことがある」人が1人もいない。。ではなくて、1人も聞いたことがない。ということで、この夏、現地を確認した。
大通りに面していないので、ここを目指して行った人か、地元の人しか気づかない。相浦という町のイメージからして、駄菓子屋の親玉みたいな作りを想像していたが、思っていたより立派だ。駐車場にもそこそこクルマが停まっている。夏休みと言うこともあって、野球帽をかぶった少年が親に連れられて、嬉しそうに入っていくのが微笑ましい。
記念館の壁にはダイエー当時、マリナーズ当時の写真。男前の城島だけに、絵が美しい。来年は空いた壁に阪神の写真が飾られているかも知れない。入館はまたいつかの楽しみに残しておいた。
まだ鹿子前入口にあった頃の佐世保実業高校出身の巨人球団職員、村田善則は、相浦中では城島の2学年上。
■村田善則の略歴
1992年
11月、ドラフト4位で巨人入団。(1位は松井秀喜)
2000年
76試合に出場。村田真一に次ぐ2番手捕手。工藤、高橋尚が投げる試合のマスクをかぶる。工藤にリードを学ぶものの高橋尚の左打者対策ができなかった。(高橋尚は日本シリーズ初登板で村田真一と組んで左打者を封じ完封勝利)
2001年
阿部慎之助の入団で控え捕手となる。
2002年
4月4日、1-2-5という珍しいダブルプレーを成立させた。
6月~7月、阿部が負傷欠場した間も勝率を落とさず存在価値を立証した。
母校 佐世保実業高校移転。鹿子前入口の跡地には商業施設ララプレイスができた。
2003年
阿部故障の穴を埋める活躍。
原監督に「(阿部より)リードは上」と言わしめた。
9月13日、ヤクルト鎌田から死球を受け右手親指を骨折したが、痛みを隠してシーズン終了までプレーした。
2005年
5月19日、当年初出場。工藤の完投勝利をサポート。
決勝タイムリーを放ちお立ち台に並んだが、工藤が喋っているうちに放送が打ち切られてしまった。
2007年
背番号40に変更(それまでつけていた12は鈴木尚広がつけた)
シーズンを通して2軍。
2008年
オフ、現役引退
セリーグ最終戦(ヤクルト/神宮球場/前日優勝が決まり消化試合)途中から守備で出場。
9回2アウトで打順が回り泣きながら打席に立った。
愛すべき男、善ちゃんは現在、巨人のスコアラー。末永く、充実した野球人生を送らんことを祈る。
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