元寇防塁 海辺の松林に建つ
お昼は「あごめし」 夜は「玉屋のサンドイッチ」と「ロンサンド」の食べ比べ。食のチェックポイントを堪能した翌日、今度は写真撮影のチェックポイント2カ所を回るために、クルマを飛ばして博多にやってきた。
この写真だけをみて「あそこだ!」とわかった人は、相当な通。
写真中央奥に見えるのは「福岡タワー」
1989年に開かれたアジア太平洋博覧会「よかトピア」の時に建てられたシンボルタワー。
写真左手に見える草むらは「防塁跡」
大陸からある国が侵略してきた時、神風が吹いて救われたという「元寇」の名残の場所。
陣地跡であることが示すように、鎌倉時代、この立ち位置から先は海だったのである。
ここで暮らしていた頃は、ここから数百メートル先の百道2丁目の下宿から先が海だった。
そして今はそこから先が埋め立てられて、福岡タワーや福岡ドームが建っている。
あと数百年も経つと、百道と志賀島は陸続きになっているかも知れない。
しばらく進んで左手に見えてくるのが、建て直された西南学院大学の学食。
今も玉子の薄い350円のオムライスはあるだろうか。
学食の左奥に見えているのが西南会館。今も文系サークルの部室が入っているのだろう。
学食と体育館の間を通り抜けるとグラウンド、学生寮、弓道場などがある。
現在も男子の「碧波寮」、女子の「汀寮」(みぎわりょう)が看板に記されていた。
2004年1月、汀寮のとなりにインターナショナルハウスが完成した。
1954年に落成した旧ランキンチャペルは2006年9月に取り壊された。
そしてその跡地に2008年3月、新チャペルが完成した。
古い欧州建築を思わせたかつての面影はなく、新チャペルはそれとなく今時な外観になった。
一限と二限のあいだには「チャペル」と呼ばれていた礼拝がある。
基本的には必修なのだが、ほとんどの学生はその時間、学食や思い思いの場所で休息を取っていた。
あまりにも出席回数が少ないと、実家に出席を促すハガキが届くのだが、これが届く人は希。誰に送るかは「抽選で選んでいる」というのがもっぱらの定説だった。
構内には今も松が生い茂っている。
このあたりは百道の松林の一角。
さらに西に行くと「生の松原」があり、さらに唐津まで行くと「虹の松原」
いにしえの人々は松を植えて、海辺の砂の飛来を防いだのだろう。
百道(ももち)の名の由来
百道には古くから刑務所がある。
むかし、刑務所から脱獄した囚人は松林を縫うようにして追っ手を逃れた。
そうしてできた通り道は百。それで百道。
百道に邸宅を構える家の息子から聞いた話だが、百道の刑務所に勤めている職員にこの話をしたところ「そんな話、聞いたことない」と一蹴された。
上は建て直された1号館。
下は昔ながらの3号館。1階の暗がりでは、電気もつけずに(つかずに?)女子学生の皆さんが、何やら模造紙に書き込んでいた。
建て直された2号館。2階に学生課が入っている。西南会館に部室が与えられる同好会と違い、愛好会である西南ミニコミ編集部は、この2号館の教室があてがわれていた。
この写真の立ち位置は、以前掲示板があったあたり。
掲示板は3号館側に移動した。
インターネットが普及した今も、休講の第一報はここに貼り出されているのだろうか。
これが新しい図書館(の入口)
以前からの図書館の西側に増築されている。
こちらが旧来の図書館入口。
図書館前には、来客用駐車場。
上記の写真に書き込んだ①~⑤の印は、その写真の立ち位置を示している。
「新幹線・全部乗る旅」 旅日記+は不定期で連載中です。
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