須永英輝と西村健太朗
2003年11月19日、第39回ドラフト会議。
西村健太朗を指名するかが注目されていたヤクルトは山田裕司投手(小松市立高)を指名。
山田は1軍のマウンドを一度も踏むことなく、4シーズンを終えた2007年オフに解雇されている。
ちなみにヤクルトが山田の後に4巡で指名したのは青木宣親である。
つづいて、日本ハムは須永英輝を指名。
巨人はもう1人の候補だった西村健太朗を指名した。
2003年ドラフトその他の主な指名選手
■福岡ダイエー
自由枠 馬原孝浩 投手 九州共立大
■阪神
自由枠 鳥谷敬 早稲田大 内野手
■巨人
自由枠 内海哲也 投手 東京ガス
■ヤクルト
自由枠 川島亮 投手 八戸大
4巡 青木宣親 外野手 早稲田大
巨人に入った西村は高卒の初年度から「23」という若い番号をもらい、順調な成長を見せた。
2004年
3月31日、イースタンリーグ初登板初先発初勝利。
7月1日、1軍初登板。対阪神(甲子園)
8回にリリーフ登板。送りバントの1アウトを取っただけで6失点。
ただし、これは2ストライク後のストライクで、上げかけた手を必死に止めるという橘高淳主審の不思議な判定がきっかけ。「高卒の君にそう簡単に三振はあげないよ」という意図にみえた。
7月4日、初先発。対広島(広島)2回3分の1で3失点KO。
2005年
8月11日、東京ドーム初先発
9月1日、ヤクルト戦で先発しプロ初勝利(8回1失点)。初安打 初打点(センターオーバー二塁打)
2006年
5月17日、中継ぎで2勝した後の当期初先発ソフトバンク戦で3勝め。これ以降、先発ローテーション入りした。
2007年
背番号30に変更。中継ぎで一軍定着。
9月6日、中日戦で初セーブ
しかし、成長はそこまで。2年間の不調の後、2010年は先発投手が不足したため、これでもかというほど先発の機会をもらったが「もうホントに要りませんから」と言わんばかりに台無しにしてしまった。
一方、須永英輝は苦労の連続。
2004年
4月11日、イースタンリーグ初勝利
5月28日、イースタン巨人戦に先発7回失点0、5勝め(この時点で最多勝利)
6月16日、ロッテ戦、先発でプロ初登板。3回7失点KO。
2010年シーズンはイースタンリーグで中継ぎ専門。オフのインターコンチネンタルカップで好投したため、監督を務めていた岡崎巨人二軍監督(現一軍コーチ)の目に停まった。
7シーズンの通算成績は0勝3敗。これではいつ自由契約になってもおかしくない。
かと言って、20勝18敗の西村もあまり褒められたものではない。
2010年11月5日、ウィルフィン・オビスポ-紺田敏正、須永の1対2トレードで、須永英輝は巨人へ移籍。
野球人生ラストチャンスを巨人で迎えられる須永は幸せ者だ。
2010年オフシーズン、巨人は「巨人に来たい人を集める」という補強方針を明確にしている。
ドラフト1位の沢村拓一も巨人を熱望していた。
須永獲得はその一環と言えよう。
巨人を志望していた高校生といえば、須永、西村の2歳年上、寺原隼人(横浜)もその1人である。
さて、どうだろうか。
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