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2011年3月 7日 (月)

なんで、今「中京都」を言うんだね?

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河村たかしを追っかけるがね
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2011年2月の河村たかし

2月6日
トリプル選は、いずれも
河村たかし側に軍配が上がった。

1.市長選
河村たかし 当選
得票数66万
市長選最多得票だった前回記録を、さらに15万票更新した。

2.市議会リコール
賛成73%
市議会解散が決定。

3.愛知県知事選
大村秀章 当選

2月6日夜
民主党の石井一(いしいはじめ)選挙対策委員長が、愛知県知事・名古屋市長のダブル選挙で民主党候補が敗れたことについてこう語っている。

「ちょっと理解できない台風のようなもの」
「河村たかし氏が正義の味方という『河村劇場』が見事に演出されていた」
「名古屋の特殊な雰囲気から出ている結果でそこまで問題が発展するとは思わない」

●●劇場という言葉を聞いて、思い出すことがある。
2005年の総選挙。
「郵政民営化、賛成ですか?反対ですか?」
という選挙を仕掛けた小泉純一郎が大勝を収めた。
その時、野党の党首や選対が、このように語っていた。

「小泉劇場にまんまとやられた」
「国民が催眠術にかかった」

果たして石井が言うように、河村たかしの挑戦は一過性の「劇場」「台風」で終わるのか。
それとも、大きく民主主義を動かすか。
石井一の言葉は、長く記憶に止めたい。

2月7日
河村たかしと大村秀章は共同記者会見で「中京都」創設を念頭に置いた「中京独立戦略本部」を設立すると述べた。

2000年以降、河村たかしをおっかけて来て、この「中京都」は唐突である。
過去の著書に、中京都の文字はなく、市議会でも中京都を議題にあげていない。

国は、首都移転委員会(正確にいうと国会等の移転に関する特別委員会等)を廃した後、道州制委員会を立ち上げて、議論を進めている。
今はまだ水面下に埋もれている。
なぜ、埋もれているかというと、その理由は2つ。

1.政治家と官僚側にすれば、おおっぴらにすると利害団体から邪魔されるから、粛々と進めている。
2.国民はこういうことに関心が薄い。ゆえにメディアは取り上げ甲斐がない。

この2つの図式は、2002年に流れた首都移転の時とまったく同じ。
当時、河村たかしは委員会メンバー。
自分が河村たかしと出会ったのも、首都移転の委員会だった。

国が静かに進めている道州制に対して、手を打つ必要があると考えての「中京都」のアドバルーンなのだろうか。
今は「減税」を看板に据える河村たかしの、もう一本の柱として注目の政策である。

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