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2011年3月14日 (月)

人は誰も、せつねえ話を聞きたくないのさ

大学の頃、親友のダメ男と僕は周囲から浮いていた。
僕たち、自称「ダメmoto」コンビが出会ったのは、学生の愛好会がつくるミニコミ誌の編集部。

今となっては顔から火が出るような使命感に燃えていた僕らは、無料で学生に配るミニコミ誌の制作現場でさえ、やたらと改革を口に出していた。
それは周囲にいる人たちに、不快な攻撃と映っていただろう。

僕ら、なにか間違ってる?
みんな、なぜわかってくれないんだろう。

スーパーで買ってきたレタス巻きを頬張りながら口角泡を飛ばす僕に、若いのに達観した視点を持つダメ男はクールに言った。

「誰もが耳障りな言葉は聞きたくないのさ。
世の中は、耳に優しい言葉だけを求めているのさ」

築数十年、今にも壊れそうなアパートの窓辺にすわり、ダメ男が語る言葉に僕は感銘を受けた。
だが、評論としての正しさに同意しても、それが道理として通るのは拒否する気持ちはつづいていた。
数十年経ち、ずいぶんと大人になった後も。

「わしゃぁこの歳まで生きて来ると、いい話だけを聞きてえであります。たいていのせつねえ話は聞き飽きたもんでありますからなあ」

南木佳士が1995年に発表した小説「阿弥陀堂だより」の一場面。
阿弥陀堂を守るおうめばあさんが主人公である小説家の孝夫と、小説家に憧れる小百合に、小説について語っている。

孝夫は言う
「世の中にいい話っていうのは少ないから、ほんとらしく創るのって大変なんですよ。だから、小説には悲しい、やるせない話が多くなってしまうんですよ」

おうめばあさんが応える
「金出して本買って、せつねえ話を読まされるじゃあたまらねえでありましょうや。うれしくなりたくって金を払うじゃありますまいか」

人は誰も、せつねえ話を聞きたくないのさ
今は道理として、そう思う。
それでも、せつねえ出来事は次々に起こる。
それらに向かう怒りをいかに笑いに転化するか?

2009年からこのテーマに取り組み始めて3年が経った。

2005年に始めた「しらべるが行く」は今日で2000日、2000話。
これからも極力せつねえ話は無しでいきますので、時々読みに来てください。

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コメント

しらべるさま

おはようございます( ^-^ *)オハツ♪

2000回投稿おめでとうございますo(*^▽^*)o
ついついお邪魔しました。。。
これからもセツナじゃない話を…
またお邪魔いたします(^◇^)ノ

投稿: sato-sin | 2011年3月14日 (月) 01時31分

北林谷栄のおウメばあさんの丸いちいさな背中は、切ねぇ感じがしました。

若い頃から阿弥陀堂の守りだけをして送る一生。それを投げ出すでもなく恨むでもなく、あるがままを受け入れ終えようとしている丸いちいさな背中。

切ねぇ感じがしました。

投稿: の・いそじん | 2011年3月15日 (火) 01時36分

そして今まさに日本は切ないにも程がある事態に陥ってますからねー…。悲惨です。

投稿: しろ | 2011年3月18日 (金) 09時24分

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