宇佐美彰朗さんと「よーいどん」
宇佐美彰朗は、五輪マラソンに3大会連続で出場した、かつての名選手。
1943年
5月31日、新潟県生まれ
スポーツ歴は中学はバスケット、高校は軟式テニス。
陸上を始めたのは大学からと遅い。
走り方を目学問で吸収したので、他人のフォームを見て目標と現状のギャップを見極める力がついた。
1964年
初マラソン 中日マラソン11位
1968年
メキシコ五輪マラソン9位
1970年
12月、福岡国際優勝 この時の2時間10分37秒がベストタイム。
1972年
ミュンヘン五輪マラソン12位
1976年
7月、モントリオール五輪マラソン32位
8月「走れ!走れ!」日本経済新聞社 現代のマラソン指南書の原型がここにある。
「マラソンひとりぼっち」講談社
1980年
8月「ぼくとマラソン」岩波書店
1981年
5月「ザ・ジョギング」情報センター出版局
1988年
8月「マラソンランナー」朝日新聞社
1994年
9月「きみも走れる42.195km」自由国民社
*児童向けのランニング指導書
1996年
11月「女子マラソン」筑摩書房
2001年
ウォーキングに力を入れ始める。
2002年
11月「からだに効くウォーキング」山海堂
2003年
NSVA設立
2004年
笹川スポーツ財団がこの年に始めたスポーツボランティア・リーダー育成事業に協力する。
2008年
NSVAウォーキング指導者養成教室を始める。
2009年
NSVA主催 宇佐美彰朗のランニング・クリニックを始める。
「スポーツボランティアリーダー研修会」
午後は、皇居に出て模擬マラソン大会実習。
ランナーとボランティアに分かれ、実際に起こりうるケースについて、リーダーとしてどう振る舞うかを学ぶ。
僕らのチームがランナー役の時だ。
スタートの位置についた前方に、宇佐美彰朗さんがにこにこ笑って立っているのが見えた。
そこで、スタッフの1人にこうお願いした。
「一生の思い出にオリンピック選手の宇佐美さんと一緒に走らせてもらいたいと頼んでもらえませんか?」
すると宇佐美さん、二つ返事でOK。
僕らと同じスタートラインについて、よーいどんのレースに加わってくれた。
受講後、課題のレポートを提出。
それが認められると晴れて、スポーツボランティアリーダーの資格が与えられる。
ところが、2016年五輪招致は失敗。
それならば、東京マラソンで実践をと思っていたが、2009年を最後に笹川財団が東京マラソンのサポートから離れたこともあり、それも叶わず。
マラソンで五輪を目指すのは、もう少し先のことになりそうだが、宇佐美彰朗さんとの縁は1年後につながった。
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