東京マラソン快走!川内優輝が残した2つの教訓
東京マラソン当日。
スタートでは 3万人を超える群衆の最後尾に並ぶ。
号砲と同時に、エリートランナー達はペースメーカーに先導されて一斉に東京の街へと飛び出す。
スタートラインで石原都知事に手を振った時、先頭集団からはすでに20分後れを取っている。
そこから、自分の激走が始まる。
日比谷公園までの10kmは、下り坂に身を任せ、転げ落ちるような速さで群衆をぬっていく。
品川の折り返しで、ビルの谷間を抜ける追い風を得ると、銀座まではさらにペースアップ。
雷門、再び銀座、築地 沿道の応援を受け、まるで熱帯魚の群れの中、遅筋が発達した一匹のまぐろがすり抜けていくように、先頭を追う。
魚なのに遅筋・・
と自分につっこんでみたりもする。
海辺のアップダウンにさしかかると、ようやく進路が開けてきて、さらに加速。
その頃には、後続集団をカバーしていた放送車の目にとまり、放送局は必死に資料をめくり始める。
だが、一般参加の****さんという実名以外には何の情報もない。
「とんでもないことが起ころうとしていますっ」アナウンサーが叫ぶ。
「え゛~っなんだ、こりゃ」解説の瀬古利彦が驚く。
「びっくりですねぇ」増田明美が、鈴の鳴る声でつづく。
そして、豊洲でついに先頭集団をとらえると、あっという間に抜き去ってゴールへ・・・
と、そこまではいかないにしても、川内優輝の走りに日本中が驚いた。
陸連所属という肩書きの市民ランナーが、エリートのトップ争いに加わったのは、史上にない。
2月28日
かつての五輪マラソン日本代表、宇佐美彰朗のコメントがmsn産経ニュースに掲載されていた。
とても興味深い話なので、その要旨をご紹介します。
・自分も実業団に属さず、練習量は月間 500kmだった。
川内は月 600km程度。
・実業団選手のように、月間 1,000km も走れば、体の芯の部分がどんどん減っていく。表面的には持久力がついても長続きしないし、メンタル面も余裕がなくなる。
川内優輝は午後から深夜までフルタイムで勤務に就くため、練習は午前中の2時間だけ。
練習時間だけで言えば、マラソンを控えている市民ランナーとさほど変わらない。
川内優輝の快挙から得られる教訓は2つ。
1,「距離」をたくさん踏めばよいとは限らない。弊害も起こりうる。
一般的には、ランニングを趣味にした場合、心臓が肥大化する。
「1日でも走らないと気持ちが悪い」というのは、その兆候。
適度な量に抑えることも頭の隅に置いておかねばならない。
2,練習は「距離」「時間」だけが重要なのではなく、自分でどれだけ考えられるか。
この練習はなにを鍛えているのか。
設定した目標タイムをクリアするために、必要な量はどれくらいか。
マラソンを始めて最初の4シーズンは、一切メニューを決めなかった。
3シーズンまでは「距離」だけをエクセルに書き込んだ計画を作っていたが、4シーズンめはそれもやめた。
距離を決めることで、それが義務になると、練習がより辛く感じられるようになったからだ。
ところが、4シーズンめの東京マラソンで失速。
そして迎えた5シーズンめの長野マラソンは、それまでのベストタイムより40分も短い5時間制限。
練習の意味を考え、質を上げなければ、長野まで行って惨めな思いをしなければならない。
そこで、ようやくメニューを作った。
3月の佐倉はメニュー練習を始めて2度めの春。
「去年のデータ」があり、それと比較できるだけでも、練習の持つ意味への考察は格段に深まっている。
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