エリート川内優輝が、エリートランナーに勝った日
東京マラソンの翌日 2011年2月28日
川内優輝は埼玉県立春日部高等学校に出勤していた。
市民ランナーの大半がマラソンを完走した翌日、痛い脚をひきずって出勤している。
日本中のあちこちで見られた光景だ。
その中で、日本人最高成績を収めたランナーも、こうして普通に仕事をしているというのが愉快である。
川内優輝は市民ランナー。実業団の陸上部に所属する、いわゆるエリートランナーではない。
2009年に学習院大学を出て、埼玉県庁に入庁。
実業団からの誘いがなかったわけではなく、自ら市民ランナーの道を選んだのである。
【 川内優輝の略歴 】
1987年3月5日
埼玉県生まれ 小1から陸上を始める。
2009年4月
実業団チームの誘いを断り埼玉県県庁入職
2009年12月
第63回福岡国際マラソン 13位 2時間17分33秒
2010年1月10日
第11回谷川真理ハーフマラソン 優勝 1時間6分49秒
2010年2月
東京マラソン2010 4位 2時間12分36秒
2011年1月
全国都道府県対抗駅伝 アンカー 区間41位 1ヶ月後の東京マラソンはこの時の「埼玉」のユニフォームで走った。
2011年2月27日
東京マラソン2011 3位 2時間8分37秒
2011年9月3日
世界選手権マラソン出場
陸上の世界では、実業団に所属するランナーを通称「エリートランナー」と呼ぶ。
一方、一般社会では地方公務員の花形である県庁職員を「エリート」と呼ぶ。
川内さんは一般社会のエリートの立場で、陸上世界のエリートに追いつこうと走り続けている。
東京マラソンをめざす、夢見がちな、というよりは妄想好きなランナーならば、こんな夢を描いたことはないだろうか。
つづく
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