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2011年3月16日 (水)

大地震 翌営業日の東京

東北地方太平洋沖地震から土日をはさんで、初めての営業日となる東京の朝。
いつもよりほんの少しだけ早く電車の駅に向かう。
幸い、電車は動いている。

この地域は計画停電の予定に入っていないが、接続する路線が運休しているために、ダイヤという概念が機能していない。
電車は2つめの駅まで順調に進んだが、そこで停まる。

「ただいま、各駅で大変たくさんのお客様がホームにあふれており、安全確認をおこなっています。安全が確認されるまで、全線で運転を見合わせています」

車内放送でいう"安全確認"といえば、駅ホームで線路に人が落下したことを指す。
思わず耳をふさぎたくなる、よくある暗黙の符号だ。

つり革につかまった腕がしびれてくる。
デジタル腕時計は斜めから見ると 88:88 を指していて、時間がわからない。
通勤にはアナログ時計が向いている。
膝をゆるめて立ち、体重を支える足を数分に一度替える。
そうしないと、足を傷めてしまいそうだ。

どれくらい待ったかわからないが、後で計算すると20数分で運転再開。
最寄りの駅に到着。
大量の人が下りようとする。
そして、まだ下りる人が続いているというのに、大量の人がもう乗り始めている。
どうやら、為政者による「国民一丸となって」というメッセージは個々の心に響かなかったようだ。

会社では一斉消灯が行われていた。
東京都の施策である、排出権取引の対象事業所にならぬようにと、呼びかけていてもなかなか進まないことが、こうもあっさり実現することに拍子が抜ける。
それを誇らしいと讃えるのが世間モードなのだろうが、こうしてできることを、なぜ日頃はできないのかというわだかまりが生まれる。

太陽光があれば充分に執務できる。
それが実感できた。

それなのに 90ルクスという標準値より格段に強い照明に対して「暗い」という人さえいる。
それならば、そういう人だけを集めた「明るいのが大好きな人の執務室」というのを造り、隔離したらよいと思う。
(考えには個人差があります)

電車は間引き運転。
ほとんどやってこない。
遅刻してまでやってきたそばから、もう帰宅の足を憂う。

より合理的な会社では、誰か1人がいないから仕事が回らないということはない。むしろ、あってはならない。
ゆえに、自分がいなくても仕事が回ることを誇らねばならない。
だが、なかなかそこまで肝を据えるのは難しいのである。
だから、人々は会社を目指す。
自分がいなくても仕事が回ることが目立たないように。
会社はそんな自主性を重んじ、社員から致し方ない有給休暇の申し出を待つ。


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