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2011年7月23日 (土)

「思い」を披瀝して「議論を待つ」 えーかっこしーの人たち

ある日、政界から白羽の矢が立った僕は、ヤトーの党首に就任しました。

 

国会は希に見る迷走状態。
それもすべては、震災と原発が発端になっています。
早速、復興対策委員会で質問に立った僕はこう述べました。

 

がれきの処理にさらに公的資金をつぎこむ
二重ローンを救済する
被災地を国が買い上げる

 

次から次に被災地に手をさしのべるプランが出ては、見かけ上肯定されています。
しかし、それらは決定ではなく
「早急の議論を待つ」
「積極的な議論を待つ」
「慎重な議論を待つ」
ということばかり。

 

つまり、話し合いをしてみたら、どっちに転ぶかわからないけど
"僕はどーんと救済しようと思ってるからね、きみぃ"
と言っているに過ぎないのです。

 

なにかにつけて「議論を待ちたい」という人のことを僕は
「えーかっこしー」
と呼ぶことにしています。

 

(ひっこめー) とよぶ声あり

 

ヨトーの党首
大学教授
報道番組のニュースキャスター

 

みんな、口を揃えて
「議論を待つ」
「議論を待って」
「議論を待ちたい」

 

民間の会社でも「議論」と「プロセス」を口にする人に、ろくな人は居ません。
それは、えーかっこだけして、ものごとの終わりを見届ける気のない人の言葉遊びに過ぎないんです。

 

さて、数々の被災者に"寄り添った"復興案。
その財源といえば公的予算。公的予算と言うのは、すべて日本国民が払う税金です。

 

いま、財源確保のために期間限定で増税するという案でいこうと、世論が収れんされつつあります。
「消費税でとると被災者にも痛みが及ぶから、所得税と法人税でとりましょう」
という"議論"をしようという方もおられるようです。

 

これはどういうことかというと、低所得者と赤字の企業は税金払いませんから、そういう人すなわち被災地の人から取るのはやめましょうということです。

 

(日本版ノブレスオブリージュかっ)とよぶ声あり

 

仮にそういう法案が通ったとします。
全国の税金を納めているサラリーマンと事業者が、東北のためにお金を払うわけです。

 

では、そこに東海で大震災が起きたとします。
今度は東海の人も、税金が払えなくなります。
東北の人だって、まだ余力は戻っていないでしょう。

 

だんだんと、負担を支えている人の比率が減り、その人たちの暮らし向きも悪くなっていく。
さぁそこに、関東でも大震災が起きました。

 

つづいて、関西、九州・・・

 

今、被災者に"寄り沿った"立場を公にして、次々に支援策を唱えて、議論を待つ皆さん。
なぜ今なのですか?
神戸の震災の時には、どうして言わなかったのですか?
新潟中越の時は、なぜ言わなかったのですか?

 

百歩譲って「過去に言わなかったけれど、歴史に学んだから、今言うのだ」ということを[OK]するならば、あなた方は、同じことを東海、関東・・全国の震災が起きる度に言い続けなければならないんです。
できますか?

 

「思い」を披瀝して「議論」を待って、えーかっこ。
いつまでも、そんなことは通用しません。

 

そこで、まず「地震」と「原発」の復興を切り離しましょう。

 

これまでも、そしてこれからも続くであろう「地震」への対応
今回初めて起きて、これから先のことは我々の手に委ねられている「原発」の対応

 

我々、立法府はすべての日本国民に平等となる法律をつくらなければならないのです。

 

3月に起きた2つの災害は、確かに未曾有のことかも知れません。
誰もが想定外だったでしょう。
しかし、こんなことは、もうたくさんというわけではなく、
こんなことがこれから始まるのです。

 

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