福岡の営業マン
ある時、僕は福岡の営業マンだった。
その日は休日出勤。
季節は初夏
その年初めて、芥屋の海岸にでも行こうと思っていたのに、上司から仕事を命じられたのだ。
任務は有名人のプロモーションに帯同する案内係。
サトウ(仮名)さんという有名人から、商品のプロモーションをすべく
自ら有力者の事務所を回りたいと申し入れがあった。
休みの日に有名人のおもり役など、誰だってやりたくない。
そこで、下っ端の僕にそのおはちが回ってきたというわけだ。
訪問先へのアポイントは、先輩社員が済ませてくれていた。
僕は東京から飛行機でやってくるサトウさんを板付で迎え、クルマに乗せて、有力者を回るだけ。
それくらいなら、なんとかなるだろう・・
はじめは、そんな安易な気持ちでいた。
ごく当たり前のことだが、飛行機は定刻に着いた。
到着ロビーにサトウさんが現れる。荷物をお持ちしますと申し出ると「いや、そんなことはいいから」と断られた。
顔が笑っていない。
元々、気むずかしい人なのか、それとも商品の売れ行きが悪いせいなのか。
人と会ったら30秒以内に仲良くなれ
それがダメなら、その商談は失敗と思え
営業の神様からそう教わっていた。
つかみを失敗したことで、心に緊張の黄色信号が灯る。
二回りは年齢に隔たりがあるサトウさんとの間には、厚い氷が張り詰めている。僕が運転する営業車は重苦しい空気のまま、1軒めの訪問先に着いた。
そこは、この地域一番の有力者の事務所。
さすがに有名人のサトウさんといえども、客先で気むずかしい顔はすまい。
とりあえず、そこで風向きが変わるはずだ。
しかし、その期待は裏切られる。
事務所に入り、受付嬢に13時に鈴木社長とアポイントしていたことを告げる。
「し、少々お待ちください」
少し噛みながら、受付嬢がいなくなる。
勘弁してくれよ・・
血の気が引いて、夏なのに寒気が走る。
やがて戻ってきた彼女は、信じられない台詞を言った。
「すいませ~ん、お約束やったとですよね・・鈴木はさっきからちょっと出てまして。恐らく食事と思います。
間もなく戻ると思いますので、しばらくこちらでお待ちください」
まさか、この業界では博多のドンとも言われている鈴木社長が、約束を忘れたといのうか。前日に確認の電話を入れておくべきだったか・・・
こんな時は、率直な気持ちを言葉にするのが、結果的にみて賢明な態度となる。だが、そんなことがわかるのは、まだずいぶんと先の話。
この場をどう取り繕うか・・ そう考えたのがいけなかった。
つづく
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