りんご普及の功労者は「銀座千疋屋」
「銀ぶら」の名所、路地の喫茶店を抜けて
路地の出口はとんかつ「梅林」
とんかつを揚げる油は幸せの香り。
心引かれているのだが、今日のお昼は先の作戦会議で決まっている。
銀座6丁目
不二家銀座ビルの6階から8階はペコちゃんミュージアム。
不二家創業100周年ということで満員の様子。
入場を待つファンが16人(女13男3)表に並んでいた。
銀座5丁目
スイーツの老舗「銀座千疋屋」
1929年、銀座千疋屋の経営者 斎藤義政は、米国からスターキングを持ち帰り、その栽培を青森の農家に託した。それまでリンゴは"すっぱいもの"というのが定説だったが、青森で育ったりんごによって「リンゴは甘いもの」という評判が定着した。
銀座千疋屋はリンゴ普及の功労者である。
横断歩道を渡ると銀座4丁目
そこには天使像が"いる"
ここは銀座一の撮影ポイント
先を急ぐ用事がなく、二人連れ以上の大半が、ここで写メを撮っていく。
たまにそういう空気を読めない子どもが、天使と延々ハグをしたりして、撮影渋滞ができる。
第二部の「銀ぶら」を初めてから50分。
時計の針は午後2時を指そうとしている。
ここで、お待ちかねのお昼ごはん。
数多くのライバルを押しのけて、銀ぶらのお昼に決定したのは洋食の店「グリルスイス」
カツカレー発祥の店である。
巨人の選手だった千葉茂は、現役の頃、銀座の「グリルスイス」をよく訪れていた。
1948年のある日、千葉は「とんかつとカレーを別々に頼むのは面倒だ」と言って、店主にカレーにとんかつを乗せるように求めた。
それが、カツカレーの始まり。
現役時代の千葉のニックネームは「猛牛」 後に近鉄の監督になった時、近鉄は千葉のニックネームにちなんで球団愛称をバッファローズに改名した。
上の写真が「千葉さんのカツカレー」カツカレー(上)のことをこう呼ぶ。
下の写真は「カツカレー」カツカレー(並)のことをこう呼ぶ。
食べ比べてみたが、どちらも食べてにっこり、家庭的な味だった。
ところで、日本なのになぜスイス?
と不思議に思った仲間が、お店の方に質問したところ
「創業店主にとって憧れの地だったスイスが店名になった」とのことだった。
つづく
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