日本プロ野球 FA フリーエージェントの歴史
FA フリーエージェントは、日本プロ野球機構と契約するアスリートが一定の年数同一チームに在籍すると、他チームと移籍入団交渉ができる権利。
自動車メーカーに入社したいと思うならば、トヨタ、日産、HONDAどこを受験するのも自由。
だが、野球競技者は入団する球団を自由に選べない。
それを"職業選択の自由を奪っている"と言われないよう、プロ野球では「日本プロ野球機構」に就職するというカタチをとっている。
MLBでは1976年よりFAが導入された。
MLBのドラフトは下位球団から順番に指名する方式(=ウェーバー方式)
選手に球団選択の自由がない代わりに、メジャー在籍6年でFA権を獲得できるようにした。
日本のFAは1993年オフから導入された。
当初の権利獲得要件は次の通り。
・一軍登録 年間150日×9年
・逆指名、自由獲得枠による入団選手の権利獲得は10年。
同じ1993年、ドラフト会議に「逆指名」が導入されている。
既存選手には「FA」
新入団選手には「逆指名」
という職業選択の自由を与えたわけだ。
その後、FA権要件は以下のように変遷した。
2003年
逆指名、自由獲得枠による入団選手の権利獲得も9年に改訂。
2008年
国内移籍 高校生145日×8年、大学・社会人7年、海外移籍9年に改訂。
■主なFA移籍選手
1993年
落合(中日→巨人)
駒田(巨人→横浜)
1994年
広沢(ヤクルト→巨人)
川口(広島→巨人)
工藤(西武→ダイエー)
1995年
河野(日本ハム→巨人) *この年のFA移籍は河野だけ
1996年
清原(西武→巨人)
1997年
吉井(ヤクルト→メッツ)
1998年
武田(ダイエー→中日)
星野(オリックス→阪神)
1999年
工藤(ダイエー→巨人)
江藤(広島→巨人)
2000年
新庄(阪神→メッツ)
川崎(ヤクルト→中日)
2001年 谷繁(横浜→中日)
片岡(日本ハム→阪神)
2002年
松井(巨人→ヤンキース)
金本(広島→阪神)
若田部(ダイエー→横浜)
2005年
豊田(西武→巨人)
移籍先の球団は、金銭または移籍元球団が求める選手を無償トレードで、補償しなければならない。
これは人的補償と呼ばれている。
人的補償の選手は、移籍先球団がプロテクト名簿を提出し、移籍元球団が名簿から漏れた選手の中から指名する。
豊田を失った西武は人的補償で巨人に江藤を要求。
江藤は恨み言一ついわず移籍して、1年間打てなかった350号を打った。
引退後はコーチとして巨人に復帰している。
2006年
小笠原(日本ハム→巨人)
門倉(横浜→巨人)
門倉の人的補償で工藤が横浜へ移籍。
2010年に横浜を解雇された工藤は 2011年を所属球団がないまま過ごし、2012年シーズンの所属球団を探している。
現役引退後には巨人を始めとした複数球団が指導者として声をかけることだろう。
つづく
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