ケニーVSフレディ 1983年激戦のマシンが目の前に!
1983年のモーターショー
四輪車では「MR2」二輪車では「RZV500R」と出会った。
四輪車ブースではほとんど写真を撮らなかったが、いよいよお目当ての二輪車ブースへ。
手にしているのは銀塩のインスタントカメラ。
フィルムがもったいないので撮るのはバイクだけ。
周辺にいる説明要員には見向きもしない。
1983年は最終戦までケニー・ロバーツとフレディ・スペンサーが優勝を争った年。
全12レースを2人で6勝ずつ分け合ったのはこの年だけ。
その激戦は今もオールドGPファンの脳裏に焼き付いている・・
と言っても当時は映像がない時代。
インターネットもない。
遠く欧州で開催されるWGPのレース結果を知るのは、なんとバイクの月刊誌だった。
毎月、各誌の発売日になると、結果と戦況を食い入るように活字で読んだ。
HONDAのブースにはフレディ・スペンサーが乗ったNSが飾られていた。
背景には「HONDA is No.1」の文字。
当時HONDAは250では「VT」400では「CBX」がよく売れていた。
そこに登場したCBRは、どうしても乗りたいと思わせる華に欠けるバイクだった。それでもこうして貴重なフィルム1枚を割いているのは、HONDAの新製品というだけで、ニュース価値があったからだ。
Suzukiのブースには、やはりWGPを戦ったRGガンマ、ハーベースズキのマシン。
ガソリンタンクのエンボスが美しい。
愛車にこの加工が施されていたら、信号で止まる度に撫でてうっとりするだろう。
しかしケニーVSフレディ以外のライダーは、空気を読まずケニーをアシストしなかったYAMAHAのエディ・ローソンしか覚えていない。
調べてみるとランディ・マモラがSuzukiに乗ってシーズン3位となっていた。
1982年にSuzukiに乗って年間王者となったフランコ・ウンチーニは、第8戦オランダGPで転倒した際、後続車両にはねられて重症を負っている。
コース上でウンチーニが動かなくなった映像は、彼が回復した後に見たが、それでも充分に気が重かった。
さて本命のYAMAHA。
RZ350に乗っているからには、バイクはYAMAHAである。
4サイクルのFZR400
このバイクの機能美は歴代YAMAHAスポーツの中でも最高峰に位置する。
YAMAHAのパンフレットには、来年発売するとは書いていなかったが「賢明なるファンのご明察を」という旨の文言があり、これが実際に買える時代がくるのかとため息が出た。
福岡市東区の国道3号線
宗像方面から福岡市に帰ってくる左手のYAMAHAオートセンターには、長くFZR400Rの看板が掲げられていた。
(現在もあるかも知れないが・・)
FZRの看板が、福岡が近いことを教えてくれる。
それにしても、このバイクの美しさはどうだ。
ここを通る度、やはり毎回ため息が出た。
インターネットがない当時は、事前にショーの全容が知れ渡ることもなかった。
クルマとバイクのファンは船に乗って晴海に渡り、たどり着いた場所で初めて驚嘆し、目を輝かせ、ある者は友と雄弁に語り、ため息を漏らしたのだ。
YAMAHAブースにケニーが乗ったYZRを見つけた時は心の底から、遠くまで来て良かったと思った。
空想の世界で走り続け、戦っていたマシンが今、目の前にあるのだ。
しかしフィルムと現像代、そして周囲にいる大勢のファン、いろいろな制限により写真はこの1枚。
そしてその右手には、この日最大の驚愕。今風に言えばサプライズが待っていた。
つづく
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