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2011年12月 8日 (木)

オールスターでぶん投げる澤村

◆15試合め 2011年7月15日
●1-2 ヤクルト 東京ドーム

BSニッテレが放送。

7回 被安打4 与四球4 奪三振6 失点2 自責点2

初回2死から連続四球で失点。
同点の6回には不用意なストレートで田中に今期1号を打たれた。

オールスター前は
5勝7敗
防御率2.22
澤村が投げた15試合(いずれも先発)チームは6勝8敗1分

7月13日
オールスターゲームのインターネット投票「プラスワンチャレンジ」で4067票を獲得。
1位となり初出場が決まった。2位は鳥谷敬の2,886票。

7月16日
オールスターゲームまで登板予定がないため、初めて出場選手登録を抹消された。

◇2011年7月23日 オールスターゲーム
セリーグ●3-4 パリーグ
2回 被安打1 与四球1 奪三振1 失点1 自責点1

■初めてのこと
オールスター初登板
初めて先発以外で登板

パセ交流戦では本塁打を打たれた西武中村を全球直球で左飛に打ち取った。
澤村は試合前に「力んでぶん投げる」と宣言していた。
その言葉を新聞で読んだ時、趙成珉を思い出した。

趙成珉はオールスターで故障して、選手生命が終わってしまった悲運の投手。
1995年秋、巨人と8年契約で入団。
3シーズンめの1998年に頭角を現し、開幕からエースとしてローテーションを守っていた(7勝6敗)
ところが、オールスターゲームで右肘を故障。

違和感を覚え、困った顔をしてベンチをのぞく趙成珉。
横浜の佐々木を始めベンチにいた投手は「今日は投げる予定ないから替わらないよ」とばかりに、へらへらと笑っていた。
結局、そのまま無理をして投げ続けて故障。
オールスター後、登板することはなかった。

2002年シーズン終了後、契約を1年残して巨人を退団。
2005年から大韓民国プロ野球のハンファに入団。
2007年シーズン終了後に現役引退した。

余興での快投は要らない。
ただただ、澤村が故障しないことを祈り、冷や冷やして見守る。
だが、澤村の心技体の前にそれは杞憂だった。


澤村拓一デビュー年を振り返る(目次)

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