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2012年1月13日 (金)

岐路に立つ地獄から天国をみた投手

2005年のドラフトで「天国」を見た投手が、今年は岐路に立つ。

2005年9月20日
高校生のプロ野球志望届け締切。
届け出た112人の中に彼が居た。

2005年10月3日
第41回ドラフト会議 高校生ドラフト開催。
40年ぶりに高校生と大学・社会人を分離開催。
大学生・社会人ドラフトは11月18日に開催された。

天国から地獄をみたのは、福岡第一高校の陽仲寿内野手。
希望球団のソフトバンクと日本ハムが競合指名。
ソフトバンクが交渉権を獲得したとして議事は進もうとしていた。

落胆して日本ハムの席に戻ってきたヒルマン監督からクジを受け取った高田GMは驚いた。
そこには、当たりを示す「交渉権確定」の文字。
ヒルマン監督は漢字が読めなかったのだ。

だが、そのクジをみた巨人のテーブルからは「それはハズレですよ」と声がかかる。
なぜならば、それと同じクジを堀内監督も引いて来ていたから。

日本ハムからのアピールで「交渉権確定」は日本ハムであることが確認された。
陽仲寿は、一度は希望球団のソフトバンクに指名されたと喜んだ後、それは間違いだったと知らされた。

クジをみて当たりだと勘違いした当時の王監督は、陽への心配りはなく
「事前に説明がなかった。興奮していた。それくらい欲しかったということ」
と居直った。
その後、報知新聞の取材に対しては「陽君に悪いことをした。残りクジだから仕方なかった」と言ったが、自分のミスには最後までほっかむりを通した。

陽が天国から地獄をみた一方で、地獄から天国をみた投手がいた。
この年、高校ナンバー1と言われていた辻内崇伸だ。

2005年夏の甲子園大会ベスト4。
球場のスピードガンで152キロを記録。
2回戦藤代戦で19奪三振の大会タイ記録。

辻内には一巡めで巨人とオリックスが重複指名。
陽の間違いが判明した後、手元にあった「交渉権確定」のくじを見て巨人も抗議。
ハズレを当たりと勘違いしたオリックスの中村GMもまた「事前に説明がなかった」と言い訳した。
クジは前年と同じものであり「説明がない」のは例年通り。言い訳は通用しない。

オリックス確定を受けた会見で、一旦はオリックス球団の印象を言わされた辻内。
その後一転して、巨人確定の会見となる。
「子どもの頃から巨人ファンでした」
破顔一笑の辻内に場内は爆笑に包まれた。

前途洋々にみえた辻内だったが、意外にもつまずいた。
2006年シーズンを二軍で暮らした後、シーズン終盤にお披露目の一軍昇格があるかと言われていたが、育成優先で9月からハワイのウィンターリーグに参加。
二年めの2007年に左肘を故障して手術。二年間イースタン登板なし。
入団から5シーズン背負っていた「15」は2011年から「98」に変わった。


2011年オフはプエルトリコのウィンターリーグに参加。
これが巨人が与える最後のチャンスだろう。

村田修一に替わる人的補償は、横浜DeNAが藤井秀悟を指名。
杉内俊哉については、ソフトバンクと金銭で決着。

プロテクト漏れにより、移籍があるかと思われた辻内は巨人残留が決まった。
1987年奈良県生まれ 24歳
2012年は7年めのシーズン。
一軍入りと活躍を祈る。

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