携帯を持っていないことが珍しくなくなる日
「えぇっ?Motoさんがケータイ持ってないなんて"珍しい"ですね」
それを言うならば"驚き"ですねだ。
日本語としては美しさがないが、人々の日常会話というのはこの程度である。
たとえば、著名な評論家の講演を聴きに言って、その言葉を一言一句漏らさずパソコンで書き留めていく。
すると、文章に整合性や脈絡がなく、あちらこちらで誤魔化しながら言葉をつないでいることがわかる。
ところで、携帯電話を解約して、日常生活から携帯がなくなって以来6か月が経とうとしている。
いいことずくめであることは以前に書いた通りだ。
誰かから「ケータイの番号教えてください」と言われることもない。
不便なことはなにもない。
ただ唯一、ケータイが懸案となる機会が人と待ち合わせる時だ。
その日は、埼玉県の出先で取引先と落ち合う話しをしていた。
「**駅は小さい駅ですから、改札は一つしかありません。待ち合わせはそこにしましょう。私のケータイは080-********です」
取引先のサトウさんが一気にまくしたてて、言葉を切る。
そして僕の目を見る。
恐らくこの次は僕のターンだ。 遊戯王かっ
わかりました。改札ですね。それと、僕ケータイもっていないんですよ。
そこで、冒頭の言葉だ。
「えぇっ?Motoさんがケータイ持ってないなんて"珍しい"ですね」
17年間持っていたけれど、半年前に解約したのだと説明する。
でももうサトウさんは、次の話題を語り始めていた。
人にとって、他の誰かがケータイを持っていないことなんて、どうでもいいことだ。
人はケータイが必要だから持つ。
他人がそれを持っていないことで、不自由しようが、自由だろうが、自分とは関係のないことだ。
2012年6月の今においては・・・
今はケータイを持っていない人のほうが少ない。
契約件数は日本の人口を超えている。
1人2台以上持っている人がいるからだ。
1人0台。つまりケータイを持っていない人数という統計は統計局から発表されていない。
個人情報の徹底的な解析が終わっている現代において「ケータイを持っていない人口」というデータは、抽出の難易度が低い。
公表する必然性のないデータにつき、公表されていないのかも知れないし、そもそも不要な情報なので、誰も解析していないのかも知れない。
だがいずれ、そこに注目する時代が来るとしらべるは予測する。
ロハスという生き方
スローフード、スローライフが高所得者層の間で流行るような国において。
今はぽつんぽつんと点在した「ケータイ0台人」
それが「百匹の猿現象」として、広がり始める。
やがてある程度の人数になり、メディアが取り上げることによって一気に拡大する。
ただし、それには「平和」そして一定期間「無災害」ということが条件となる。
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