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2012年7月13日 (金)

我が心のベスト電器

山口と長崎で幼少を過ごして来た僕にとって、電気屋さんといえばベスト電器である。
週末になると家族で下関にドライブしていた時、ベスト電気は唐戸市場そばの丸栄(後にユニード)の中にあったと記憶している。

 

五島列島に住んでいた時、島内にはベスト電器がなくて南松堂という地元の電気屋さんに通っていた例外を除き、すべての世代で身近には地域の一番店としてベスト電器があった。

 

オーディオが唯一の趣味だった中学高校の頃は、佐世保店の2階でいつも手の届かない高級機を眺めていた。
ダイレクトドライブのレコードプレーヤーの説明を聞き、異彩を放つエルカセットにうっとり。
自宅にある古いソニーの家具調ステレオとはまるで違う臨場感を奏でるスピーカーの前で立ち尽くした。

 

大学生になってアルバイトで稼いだお金が入り、西新店にスピーカーを買いに行った。
憧れのダイヤトーンDS-25BⅡが思いの外安く売られていた。
展示品でtweeter(ツィッターではない)が凹んでいたのだ。
少し迷ったが、憧れの品を手にしたくてバイト代をはたいた。

 

大学の頃、平和台球場のアルバイトで知り合った友人がベスト電器に就職した。これで、より一層ベスト電器が身近になった。
社会に出てふんだんに家電製品が買える身分を手に入れると、週末は必ず天神にあるベスト電器本店に通った。
きっとあの頃ならば、あの狭い立体駐車場に目をつぶってでも車庫入れできただろう。

 

テレビ、冷蔵庫、アイロン、窓型クーラー、洗濯機、オーディオ用品そして腕時計まで。
そこで買えるものはなんでもベスト電器。
後に映画「洗濯機は俺にまかせろ」で、使っていた洗濯機を主人公が修理するシーンがあり笑った。当時は二槽式の名機だったらしい。

 

それから数年後のある日、僕は電気製品の営業だった。
家電ルートには流していない製品だったが、憧れのベスト電器で売ってみたくて、友人の紹介で那の津の本社を訪ねた。
待合室に通されると、各社の営業が順番待ちでひしめいている。
互いに談笑している常連メンバーを尻目に、ただ1人場違いな僕はじっと名前を呼ばれるのを待った。
バイヤーの部長さんはとても早口だった。
愛想はなかったが、こちらの意図を汲んでいただき、仕入れ口座も設けずに1週間のテスト販売を認めてくれた。
ちょうどロゴマークが変わる頃で、部長さんが「君、CIって何の略か知っているか?」と言って僕に新しい単語を1つ教えてくれた。
結局、売上げに貢献することはできなかったが、ベスト電器の店頭に立ち続けた1週間は、貴重な良き思い出となり心に沈んでいる。

 

エイデンの牙城、名古屋に住んでいた頃も今池のベスト電器に時々行った。
だが、雑然としていて品揃えにも魅力が感じられなかった。

 

東京では近くにベスト電器がない。
やがてベスト電器とは疎遠になった。

 

2012年7月12日
日経の一面に「ヤマダ、ベスト電器を買収」という文字を見た時は、少し心が窮屈になった。
だが記事内容を読んで少しほっとした。
経営はヤマダ傘下に入るものの、これからもベスト電器の社名で営業がつづく。

 

我が心のベスト電器。
捲土重来を祈る。

 

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コメント

今池で働いていました。昨日、今池店後を訪れました。貴重なお話ありがとうございます!

投稿: のぶよし | 2012年7月17日 (火) 12時27分

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