1人の敷居
「1人カラオケ」は1人でカラオケボックスに行くことである。
1人でスナックに行って、ねぇスーさんサザン歌って~とか言われながら、じゃ「いとしのエリー」というような場合はそう呼ばない。
カラオケ発祥の国、日本において、カラオケを歌ったことがある人100人に聞いても、1人カラオケの経験者は1人に満たないのではないか。
カラオケ発祥の県、岡山県でもそれは同じだろう。
1人カラオケは代替が効く。
クルマの中でも歌えるし、家のなかでウォークマンを聴きながら絶唱する若者もいるのだ。
「1人酒」は場所により、難易度が大きく異なる。
家呑みの1人酒は容易だ。
しかし、酒場での1人酒は難しい。
1人でスナックに行って、ねぇスーさんクワタ歌って~とか言われながら、じゃ「TSUNAMI」というような場合はそう呼ばない。
1人で焼き鳥屋に行く。
ビールと焼き鳥がくる。
そこから先、テレビがあればテレビを見る。
でも笑えない。喜べない。
テレビに向かって1人でつっこんでいる姿は人に見せるものではないのだ。
そうなると、読み物をもっていくしかない。
ページをめくっては、時々、ビールをコップにつぐ。
織田裕二級の外見でもない限り、絵にならない。
なかなか、2度めは続かない。
「1人観戦」はきつい。
プロ野球でぽつんと1人、メガホンを振っている姿はわびしい。
自分でもそう思うが、見ている人もそう思う。
**応援席で見ていればいいが、中途半端な席で見ていると余計にわびしい。
時々、まちがって相手の攻撃に合わせてメガホンを打ってしまう。
「1人コンサート」も同様だ。
クラシックならばよいのだが、感情を爆発させたいロックではそうはいかない。
♪この胸にサムデイ
といって腕を突き上げることにすら、戸惑いを感じる。
同じ感情を共有できることが、事前に確認されている誰かと行動しないと、人は内なる気持ちをさらけ出せないのだ。
「1人喫茶店」は楽だ。
これは、そういう客が多いと言うことに原因がある。
1人で喫茶店にたたずんでいても、誰もなんとも思わない。
本を読む。パソコンやスマホを見る。
誰にもペースを合わせることなく、考え込むことができる。
新たな発想が沸く。
人には1人喫茶店が必要である。
「1人旅」は1人で旅に出ることである。
泊まらなくてもよい。
日帰り、あるいは長距離移動も「旅」と呼ぶというように定義を緩くすれば、1人旅は敷居が低い。
ほかの"1人**"は、一緒に行ってくれる人がいないからという消極的理由がつきまとうが、1人旅だけはとても好意的に受け止められている。
1人旅をするようになれば、なぜ自分は1人で行動するのか。
他人と行動することにこだわってきたのはなぜか。
自問自答するようになる。
そこから先"1人**"の道を邁進するか、やはり"誰かと一緒"に帰って行く人に分岐するのである。
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