青空に泳ぐ、あの赤と白のエビのように。
スズキさんは定年が近いサラリーマン。
都内にある築30年の高層マンションに住んでいる。
フロアは中層階。
最上階にも空きがあったが、妻が反対した。
災害を考えた時、高い階は不安だから1階がいいという。
見晴らしの良さが、人生には必要だとするスズキさんは、なんとか妻を説得して中層階で折り合ったのだった。
退職金で早期完済すれば、住宅ローンも払い終える。
終の棲家を確保して、慎ましいものの穏やかな老後に落ち着けることに安堵している。
週末の土曜日、妻は親友に誘われて始めた地域のボランティアにでかける。
1人、家に残されたスズキさんはコーヒーを淹れて、窓辺にたたずむ。
冬場の東京は快晴の日が多い。
遠く西の空ちかくには、雪を頂く富士山が見えている。
富士山よ、君がそこにあって、こうしてくつろぎの時間を過ごせる我が家。
ここがあるから、一週間、息の詰まる職場もなんとかやり過ごせるのだ。
コーヒーは一杯あたり20円の簡易ドリップパック。
だが、それは初めて高校生の時にはいった喫茶店で飲んだコーヒーよりも美味い。
デフレだなぁ
そうつぶやいたスズキさんの視野が違和感をとらえた。
赤と白
細い網目の向こうに山が透ける。
エビか?
ホームセンターで売っている観賞用のエビに確かこんなのがいた。
椅子から立ち上がり、窓の下を見下ろして愕然とする。
それは建築用クレーンだ。
かつて、東京タワーがそうだったように、現在も識別しやすいよう高層建築のクレーンは赤と白に塗られている。
スズキさんの憂鬱な週末が始まった。
クレーンは週を追うごとに高さを増し、クレーンを追って高層マンションの床がせり上がってきた。
やがて床は視野と水平を超え、エビのクレーンは見上げる位置となり、さらに空をめざす。
富士山が完全に隠されてしまった日から、彼はもう外を見るのをやめた。
もう何も見るものはそこにない。
やがて、そこに見知らぬ人が住めば、互いの生活を犯さぬよう、窓の外に目をやることすらはばかられるのだ。
でも彼は気づく。
立ち止まっていては、寂しさや悲しさの虜になるだけなのだ。
自分も動かなければならない。
青空に泳ぐ、あの赤と白のエビのように。
おわり
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