4月1日、クィーンに入ることになった。
クィーンに入ることになった。
フレディが1991年に死んだ時は、とても残念だった。
なぜならば、人生の目標を失った気がしたからだ。
それと同時に、なにか得体の知れない運命のうねりを感じて、身が震えた。
彼が死んだあと、しばらくクィーンはきっと喪に服すだろう。
だが、3人の優秀で魅力的なロック・ミュージシャンが残っている。
フレディの歌とソングライティングが無くなったとしても、3人の輝きが失われるものではない。
恐らく、何時の日か再会の日が来るはずだ。
ところが、1年が過ぎ、2年が過ぎ、節目の3回忌が過ぎても3人は立ちあがらない。
おいおい、もうやらないつもりか?
まだ、老け込む歳じゃないだろう。
ファンは待っているんだぞ。
そうだ
俺がクィーンに入ろう
こう見えても(誰も見てないが)高校の頃は、**高校のフレディ・マーキュリーと呼ばれた男だ。
1人から
大学に入ったら、フレディのぴたもっこりスーツを身にまとい、70cmにカットしたスタンドマイクで、颯爽とステージを舞おう。
そう決めた日から、夜食のうまかっちゃんを止め、17kgの減量にも成功した。
だが、まさに世は不況。
いつの日か、自分の夢に歯止めをかけた。
大学では、しっかりと勉強しなければ、希望の仕事には就けないだろう。
キラークィーンを歌ってる場合ではない・・・
そして、1991年フレディの死で空いたボーカルの位置。
あの日、見捨てた夢が数十年の時を超えて、動き始めた。
ところが、クィーンとボクを取り持ってくれるツテがない。
せめて、今できることをやっておこうと、高音域の発声練習だけは怠らなかった。
しかし、人は老いるとともに物忘れが幅をきかせる。
日々の暮らしにかまけて特訓(カラオケとも言う)は疎遠になっていく。
ボヘミアンラプソディの ふぉーみ~ のシャウトが1オクターブ下げなければ歌えないことに気づいた時、衝撃が走った。
ポール・ロジャースなる人物がクィーンに入ったというのだ。
正確にいえば、ポール・ロジャース with QUEEN というクレジット。
ショックを受けた。
僕が狙っていたのに。
あれほど、見たかったブライアンのギターワークだが、来日しても知らんぷりを決め込んだ。
ジョンがいなけりゃ、それはクィーンじゃないよ。
独りごちた。
だが、世界中のファンも同じ気持ちだったようで?
その臨時バンドはやがて活動の声を聞かなくなった。
そして2013年4月1日、ロジャーから届いた知らせ
「クィーンに入りませんか?」
どうか、冗談だとは言わないでほしい。
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