松田聖子の歴史
1962年3月10日
"戦後を代表する歌姫"松田聖子は福岡県久留米市で生まれ、2013年の誕生日で51歳になった。
昭和の歌姫、美空ひばりが亡くなったのは52歳の時。
そのイメージと比べると、ステージではミニスカートも履き、自ら51歳を強調する松田聖子は若い。
近年、日本人は若返っているのではないか。
正確にいうと、一部の日本人は歳を取っても若く見える人が増えた。
それについては、いずれ検証したい。
1979年4月
芸能界入りのために、久留米市の信愛女学園高校から堀越学園に転校。
後に戦後を代表する歌姫になるだけあって、信愛ではかなり有名な存在だった。
デビュー当時、信愛の校門で、同級生や下級生にその人となりを尋ねると、それぞれがエピソードまたは、私見をしっかりと述べていた。
1980年4月
「裸足の季節」で歌手デビュー
当時はサンミュージックの創始者である相澤秀禎さんの家に下宿していた。
同年12月
レコード大賞新人賞受賞。
最優秀新人賞は、田原敏彦が受賞している。
2学年下の河合奈保子も同年デビュー。新人賞を受賞。
岩崎良美も同期だ。
当時、男子のアイドル指向は聖子派、奈保子派に大きく分かれていた。
聖子派の支持理由は「曲のよか」「歌がうまか!」だったが、
奈保子派は明確な支持理由を明らかにする者が少なく、たいていはアンチ聖子論を展開してお茶を濁していた。
(考えには個人差があります)
アンチ聖子論の重点は、そのカマトト振りにあった。
カマトトとは、わかりきっていることを知らないふりをしてきくこと。
「カマボコはトト(白身魚)から作るの?」が語源。
歌手デビュー直後「週刊プレイボーイ」のインタビューで「Aはまだ。B、Cは意味も知らない」と答えていた。
読者は「なぜB・Cの意味を知らないのに、Aは知っているんだ?」とツッコンだ。
徹底したカマトト振りには、当時「すすめパイレーツ」で江口寿が多用していた表現「かわいこぶりっこ=ぶりっこ」が冠された。
1985年4月
神田正輝との婚約を発表。
1986年10月1日
長女沙也加 誕生
1998年5月
歯科医・波多野浩之氏と結婚
2001年4月
長女沙也加が芸名「SAYAKA」でデビュー。
2011年には、カウントダウンライブ会場から「NHK紅白歌合戦」に娘SAYAKAとデュエット出演した。
2012年6月13日
慶應大学准教授(氏名非公開)と入籍。
2013年7月7日
日本武道館公演が100回を迎えた。
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