カラダの省略
日常生活では、あれもしよう
これもしようと考えている。
夏の旅についてのプランだ。
アイデアが浮かぶと、 直前に思い出せるよう、ABC sheetの夏休みすこし前の日付に書き込んでおく。
だが、その頃になると書いたことすら忘れていて、直前になって、そのようなアイデアがあったことを思い出す。
しかし、なにも準備していないので、二の足を踏む。
去年の旅は何をしていたのだろう。
そうやって、去年の記録を探そうとする。
旅に持参したノートを開けば、どこかにあったはず。
ふとそれは、去年と今年を比較して、自らを納得させようとしていることに気づく。
去年はもっとしょぼい夏休みだったぞ。
今年はこの程度でいいじゃない。
そう、自らに言い聞かせようとしているのだ。
エアコンが完備されて、こうしてパソコンを打てるデスクがある。
テレビでは高校野球がなっている。
アタマで考えていると、幸せな時間は訪れない。
これはここ1年で学んだ経験則。
現代人は通信と交通のネットワークが進歩したことで、自らのカラダを動かさなくても感動を得ることができる。
ヒトはラクで便利なほうに流れやすい。
カラダを省略してしまう。
とりあえず、カラダを動かしてみよう。
熱中症対策にOS-1を持って。
念のために喫茶店で使えるよう、ノートを持参する。
それは、たいていの場合、使わずじまいになる。
カラダを動かして、出た「外」には刺激が待っている。
次々にアイデアが浮かぶ。
好奇心を思い出す。
外に出なくても、何かは始まるが
外に出ると、確実に何かが始まる
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