デコとロナウド、ユーロ2004でメジャー大会デビュー!
2004年6月
ポルトガル代表に入ったデコは、初めてのメジャー大会である「ユーロ」に初出場する。
「ユーロ」は、UEFAが主催する欧州選手権。
国別対抗戦であり、出場するのは各国の代表チーム。
W杯の欧州限定版といえる。
開催は4年に1度。W杯と2年ずらして行われる。
ユーロ2004(第13回大会)は、ポルトガル開催。
デコが所属するチームとしては、母国開催となった。
ポルトガルの監督はブラジル人のルイス・フェリペ・スコラーリ。
W杯2002(決勝:横浜)では、優勝したブラジルの監督だった。
ポルトガルには、フィーゴ、デコ、マニシェ、リカルド・カルバーリョ、パウレタといった各国のビッグクラブで活躍する選手が揃っており、優勝候補と位置づけられていた。
ところが大会直前、主力であるフィーゴとルイ・コスタが、またもデコの代表入りに不快感を表明。
デコが沈黙を守ったことで、内紛には至らなかったが、とてもチーム一丸とは言えなかった。
デコは初戦こそ先発をルイ・コスタに譲ったが、後半から攻撃的MFとして初出場。
同じく後半から、クリスチアーノ・ロナウドもユーロにデビューした。
初戦は0-1でギリシアに敗れてしまう。
つづく第2戦以降は、10番のコスタに替わり、20番のデコが攻撃的MF(日本ではよく司令塔という)のレギュラーとなった。
ベスト8のイングランド戦はPK戦までもつれ、デコが1番手で蹴り、成功させている。
デコが代表公式戦のPK戦で蹴ったのは、この一度きりである。
決勝は、グループリーグの初戦で敗れたギリシアが相手。
ポルトガルのMFは、左からロナウド、デコ、フィーゴが並ぶ豪華な布陣。
この形はW杯2006までつづいた。
試合は57分にギリシアが先制。
相手の長所を消すことに徹したギリシアは、デコにマークを二人つけるという異様な策を打つ。
そのリアクション・サッカーに、ポルトガルの華麗な攻撃サッカーは敗れた。
ユーロ終了後、デコは移籍先を探す。
それは、夢だった欧州ビッグクラブへの挑戦。
ただし、FCポルトには強い愛着を抱いており、後の2006年10月には「現役生活をFCポルトで終えたい」と話している。
結果的には、それも叶わなかった。
つづく
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